1. はじめに
一つ一つ生物を観察すればするほど不思議でならない。どこからこのように多様な生物が生まれてきたのだろうか、それを思うと少し気が遠くなってしまう。公開臨海実習ではじめてその生物と出会ったとき、"このような場所にこのような生物が・・・"とあらためて生物の多様性を実感させられた。さて動物学上、古くから知られてはいるものの、いまだ謎の多い生物として中生動物ニハイチュウがある。この動物は頭足類の腎嚢を生活の場とし、細胞数が50個にもみたない単純な体制をもつ体長数ミリの多細胞動物である。その生活史は複雑で、無性生殖と有性生殖の両サイクルがみられる。それぞれのサイクルから2種類の幼生が生じるが、これがdicyemid(二胚虫:2つの胚をもつ動物)の名の由来でもある。ニハイチュウはその単純な体制から、単細胞動物と多細胞動物とをつなぐ動物として古くから注目されてきた動物であり、系統進化上、動物の多細胞化を考える上で興味深い動物である。わたしはニハイチュウについて、分類、系統、形態、発生、生態などの観点から全体としてこの動物がどのような生き物であるかを調べる総合的な研究「ニハイチュウの生物学」を目指してきた。
2. 分類
ニハイチュウの研究を始めた当時、日本からは4種のニハイチュウの記載があるのみで、日本のニハイチュウ相についてはほとんど知られていなかった1。まず日本にはどのようなニハイチュウが見られるのか、頭足類を求めて各地の磯や漁港を訪ね歩くことから始めた。海外ではさほど好んで食べられることのない頭足類であるが、日本の食文化が味方してくれ、漁港を訪ねるだけでも30種ほどの頭足類を手に入れることができた。これまでの分類の指標に加え、新たに幼生の細胞数や細胞の種類を調べ比較することで、種をより明瞭に区別できるようになった。これまで19種の頭足類から既記載種4種を含む41種のニハイチュウを発見し、うち16種は新種として記載した2, 3。ふつう1種の頭足類に数種のニハイチュウが見られること、日本近海でニハイチュウが寄生すると推測される頭足類は約70種ほど生息することから、日本近海に生息するニハイチュウは少なく見積もっても100種はいるだろうと思われる。
その後の分類作業には、過去に記載された海外の種の再記載が必須となった。"ニハイチュウの標本が貴君を待っている"とSanta Barbara Museum of Natural Historyの頭足類の研究者F. G. Hochberg博士より誘いがあり渡米した。なによりも海外の種をこの眼で実際に観察してみたかった。まず博物館の標本を見て驚いたのは、日本産のニハイチュウのタイプ標本がコレクションの中から見つかったことだった。70年ほど前、フランスのNouvel博士が日本を訪れ記載した標本だったが、博士の死後、後任教授の研究室の片隅に放置されていたものをHochberg博士が引き取ったという。しかし、残念ながら日本産の他3種のタイプ標本は失われていた。博物館での研究で、海外のいろいろな地域(北海、地中海、アフリカ沖南大西洋、アメリカ大西洋岸、メキシコ湾、アメリカ太平洋岸、ニュージーランド近海、南極近海、台湾沿岸)の頭足類から41種の未記載種を発見し、うち7種は新種として記載した4-7。世界のいろいろな海域に生息するニハイチュウの観察から、宿主の種特異性、宿主の属特異性、生態深度による属の分布範囲の違いなど、ニハイチュウの系統と頭足類の系統や生態との密接な関わりが見えてきた。
3. 形態
ニハイチュウの体は簡単で、内部にある1個の軸細胞とそれを包む10-20個の体皮細胞からなる内外2層構造でできている。多細胞体制の成立過程を推測するには、単純な体制をもつ生物の細胞間の接着様式が重要な指標となる。ニハイチュウの微細構造を透過型電子顕微鏡で観察したところ、内外の細胞膜間には基底膜の他、可視的な細胞外マトリクスもみられず、ニハイチュウの体制は組織と呼べる段階にないことが明らかになった。なお各細胞間にはアドヘレンスジャンクション、ギャップジャンクション、および未分化なセプテイトジャンクションが認められたが、板状動物や海綿動物など原始的とされる他の多細胞動物ではギャップジャンクションが見られないことから、細胞間の連絡を担うジャンクションが存在するという点では、ニハイチュウはそれらより分化した段階にあると考えられる8。細胞相互間の連絡は、多数の細胞からなる個体が一つのまとまった行動をとることを可能にし、ニハイチュウが単なる細胞の寄せ集め、群体ではないことを示す。
4.発生
ニハイチュウの発生はユニークで、すべて親の軸細胞の細胞質内部で起こる。蠕虫型幼生は非配偶子から無性的に発生し、それが成長して成体となる。成体は蠕虫型幼生を次々と生み、腎嚢内で個体数を増す。ニハイチュウの個体群密度の増加が引き金となり、それまで蠕虫型幼生を生じてきた非配偶子が両性生殖腺を形成するとされる9。そこで生じた卵と精子が自家受精して滴虫型幼生が発生する。複数種のニハイチュウについて非配偶子から蠕虫型幼生の発生、両性生殖腺の発生(配偶子形成)、および滴虫型幼生の発生(正常発生)までの一連の発生プロセスと細胞系譜を決定した。
<蠕虫型幼生>
地中海、メキシコ湾および日本産ニハイチュウ2科4属7種について、非配偶子から蠕虫型幼生にいたる発生過程を追跡し、細胞系譜を決定した10, 11。初期発生はすべての種に共通で、螺旋型に類似した分裂様式で進行し、5細胞期から左右相称型の分裂に移行した。発生中期に科の特徴が、発生後期には属と種の特徴があらわれた。また、ヤマトニハイチュウとコウイカニハイチュウは同じ細胞数(22細胞)からなり、外部形態も類似するが、両種の細胞系譜を比較すると、細胞死の生じる回数やタイミング、細胞系譜の末端部分が異なるなど、発生プロセスには違いがあり、類似する形態が必ずしも同じ発生経路でつくられているとはかぎらないことが示された11。
<両性生殖腺>
ニハイチュウにみられる両性生殖腺は、後生動物の両性生殖腺のような器官構造ではなく、卵系列の細胞群と精子系列の細胞群の集合体のようなものある。日本産4種のニハイチュウについて、非配偶子から配偶子が分化するまでの細胞系譜を決定した12。どの種も非配偶子から3〜4回の分裂で3種類の細胞が形成され、卵原細胞、精原細胞、および両性腺の軸細胞と呼ばれる細胞に分化した。その後、精原細胞は軸細胞の細胞質内に入れ子式に取り込まれ、そのなかで精子を形成した。一方、卵原細胞は軸細胞の周囲を取り囲むように分裂し、卵を形成した。軸細胞内で成熟した精子は軸細胞内から抜け出て、外表部にある卵と出会い自家受精する。両性腺の細胞系譜にも種差があり、これまで4種のニハイチュウから3つのタイプがみとめられた。
<滴虫型幼生>
ヤマトニハイチュウについて受精卵から滴虫型幼生にいたる細胞系譜を決定した13。受精卵は螺旋型卵割を行い、24細胞期以後、左右相称型卵割に移行した。動物極側に位置していた細胞群は将来繊毛を有する幼生の尾部を形成し、一方植物極を占めていた細胞群は幼生の前部と内部を形成した。このように滴虫型幼生の発生プロセスは無脊椎動物の初期発生にみられる基本的な発生パターンを示した。初期発生が螺旋型卵割で進行することから、扁形動物、環形動物、軟体動物に代表される螺旋型卵割動物との系統的な関連が示唆された。幼生の内部を形成する細胞系譜で細胞死が生じたり、次世代をつくるとされる細胞が、ある細胞の細胞質内に入れ子式に取り込まれたりと、ニハイチュウにしかみられないユニークな現象も観察された。完成した幼生は37細胞から形成されていた。
5. 系統関係
古くからニハイチュウの系統については、原始的多細胞動物とする説と扁形動物吸虫類の寄生退化型とする説とが対立してきた。Van Benedenが中生動物門を設けて以来126年間14、ニハイチュウのもつユニークなキャラクターは、動物学者を悩ませるのに不足はなかった。細胞間の接着様式においても、組織や器官の発達した後生動物とニハイチュウを比較すると、ニハイチュウはやはりより未分化な状態にある。その一方、ニハイチュウの発生様式をみると、蠕虫型幼生、滴虫型幼生ともに、初期発生は螺旋型卵割で進行すること、種によって一定回数の細胞分裂ののち形成され、決まった細胞系譜で予定細胞死がみられることなど、発生が厳密にプログラム化されており、螺旋型卵割動物、または線虫とのつながりも示唆される15。しかし、問題はニハイチュウがそれら後生動物の祖型か、あるいは特殊化した動物かであるだろう。最近の片山らによる18S rDNAによる系統解析では、ニハイチュウは三胚葉動物と関係が深いこと16、また小林らによるHox遺伝子の解析では、ニハイチュウは三胚葉動物の中でもLophotrochozoaとの関連が深いことが示された17。これらの結果は、ニハイチュウが寄生によって単純化したことを意味する。しかし、滴虫型幼生にはLophotrochozoaにみられる形態学的特徴はみとめられず、なお問題も残している18。
6. 頭部形態の適応進化
ニハイチュウの頭部の形態は特徴的で、とんがり頭、扁平な頭、丸い頭の3タイプに分けられる。ふつう複数種のニハイチュウがみられる頭足類では、これら3タイプのいずれかの組み合わせで寄生している。1種の頭足類に類似した頭部形態をもつ2種のニハイチュウが寄生するケースもないではないが、頭部形態が類似する2種は互いに避け合っているかのごとく同時に同じ腎嚢内に出現するケースは希であった。これは複数種のニハイチュウが同時に寄生する場合、頭部の形態の異なるニハイチュウが選択され、その結果、頭足類の間でニハイチュウの頭部形態が収斂した結果と推定される。頭部の形の異なるニハイチュウは、腎嚢内でどのように寄生しているのか、腎臓の切片をつくり観察したところ、頭部のとんがったタイプのニハイチュウは腎臓の細尿管に頭部を挿入し、一方頭部の扁平なタイプのニハイチュウは腎臓の表面に頭部を付着させ、両者は棲み分けしていた19。
7. 生活史戦略
どのような生物でも環境に対する適応に戦略がみられるが、ニハイチュウは寄生生活を送っていることから、宿主の頭足類との間で何らかの特別な適応現象がみられると予想された。ニハイチュウの各発生段階での体のサイズ、卵、無性配偶子のサイズ、1個体当たりの幼生の産出数、宿主のサイズなどとの間の相関を求めることで、ニハイチュウがどのような生活戦略をとり、いかにして環境に適応しているか調べた。もっとも特徴的な点は、卵の生産数に対する精子の生産数が平均1.5倍と、精子の数が非常に少数であること、発生がすべて親の体内で起こり、幼生が完成したかたちで親から生み出されることである。これは無駄に多くの精子をつくらず受精を効率的に行い、また幼生を体内で確実に成長させ生み出すことで、一般に死亡率が高い幼生を可能な限り失わない戦略とみなせる(投稿中)。
8. おわりに
中生動物門は最初、所属不明の小型多細胞動物の寄せ集めであった。動物界の多くの門のなかでも謎めいた動物門の一つではなかっただろうか。その後、板状動物や直泳動物が中生動物門から除かれ、近年ニハイチュウはDicyemida(二胚動物門)として扱われるようになった。同時に、中生動物の名は単に一つの進化段階を表すものとなりつつある。ニハイチュウの系統的位置については、いまだ結論に達していないものの、後生動物が特殊化したとみる説が有力になりつつある。しかし、ニハイチュウの体制が現存する多細胞動物のなかで最も単純であることには変わりなく、培養系が確立されれば、動物の形態形成や細胞分化の研究における最も簡単で、かつユニークな実験動物になる可能性を示している。一方、ニハイチュウ類には相当数の未記載種があり、日本におけるニハイチュウ相も十分には明らかになっていない。また形態、発生、分子に基づく分類体系の再構築、分子系統と生態的特性に基づくニハイチュウと宿主との共進化やニハイチュウの生活史の全貌、寄生の場としての頭足類腎嚢の構造など、興味ある多くの問題がその解決を待たれている。
最後に、これまでニハイチュウの研究を進めることができましたのは、故越田豊名誉教授と常木和日子教授のご指導、ご激励のおかげです。心から感謝申し上げます。F. G. Hochberg博士には、海外のニハイチュウを研究する機会をいただき、博物館での貴重なポスドク生活を送らせていただきました。心から感謝の意を表します。また、このような基礎的で地味な研究に対して、いろいろな分野の方からご激励をいただきましたことに、心からお礼を申し上げます。
参考文献