学会賞・奨励賞関連

紐形動物の系統分類学

北海道大学大学院理学研究院自然史科学部門多様性生物学分野
柁原 宏

1. はじめに
 今やすっかり宅地造成されてしまったが、私が幼少の頃の群馬県前橋市の生家の周囲は田畑も多く、比較的沢山の生き物に囲まれて育った方だと思う。長じて生物の研究を志したが、分子や細胞ではなく個体(=標本)を扱う学問分野である分類学に強く惹かれた。その後恩師となる馬渡駿介教授の著作(馬渡1994)に出会ったからである。

研究室に入ると「まあ一度先輩の院生と一緒にサンプリングに行って、何をテーマにするか気長に考えなさい。ちなみにカイメン、ヒモムシ、コケムシはお薦めの分類群である。カイメンとヒモムシは専門家が定年退職してしまって現役の研究者がいないし、コケムシなら私が直接指導できるから」とおっしゃる。カイメンとコケムシは付着性で群体性の動物であり、動き回らない。動物の「個体」を扱いたいという、私がイメージしていた希望とはやや離れているので、ちょっとどうかと思った。残るはヒモムシであるが、海岸から遠く離れた群馬県で生まれ育った私が当時ヒモムシに関して持っていた知識といえば、『絵で見る比較の世界―ウイルスから宇宙まで』(ダイアグラム・グループ1981)―小学生のときの愛読書の1つであった―で読んだ「紐形動物―あらゆる動物の中で最も長い。54.9m」という記述だけであり、実物を見たのは先輩の院生に忍路臨海実験所に連れて行ってもらったときに採れたクチベニヒモムシMicrura bellaが最初であった。

「綺麗である」というのが初見時に抱いた感想であった。体は細長いが環形動物のような体節はなく、表皮は繊毛細胞と粘液分泌細胞を供えているため、外見はヌラヌラして見える。「そういえば谷崎潤一郎の小説に、幼少のころからヌラヌラしたものに対して異常な嗜好を持つ主人公が出てくる作品があったな」と実体顕微鏡をのぞきながら想起したのを記憶している。いずれにせよ、「こんなに美しい動物を誰も研究していないのならば自分がやろう」とそのときに決意した。

2.紐形動物
ヒモムシの仲間は極地から熱帯域にいたる世界各地から約1,200種が知られる主に海産の底生無脊椎動物であり、独立した動物門である紐形動物門を構成する(Gibson 1995)。紐形動物門は、環形動物門・ユムシ動物門・星口動物門・軟体動物門からなるネオトロコゾア類の姉妹群と考えられており(Jenner 2004)、それら共有形質は1)少なくとも一部は繊毛をもつ中皮に裏打ちされた列体腔性の体内の空所(Turbeville 1986, 1991, 2002; Turbeville and Ruppert, 1985)、2)グリア間隙細胞システム(Turbeville and Ruppert, 1985; Turbeville, 1991, 2002)、および3)幼生がプロトトロクを持つこと(Maslakova et al. 2004a, b)であると考えられている。

海産種には底生のものだけでなく、水深数百〜数千mの水柱を遊泳しているオヨギヒモムシPelagonemertes moseleyの仲間や、二枚貝の外套膜内に寄生・共生しているヒモビルMalacobdella japonicaやウチダキセイヒモムシUchidana parasita、十脚甲殻類の卵塊などに寄生するカニヒモムシCarcinonemertes mitsukuriiなどの仲間の他、淡水に生息するProstomaや湿った落葉の裏などに生息する陸生のGeonemertesなどもおり、様々な生息環境に適応したメンバーがいる。

3.研究手法の改良
紐形動物には、甲殻類における外部骨格のような分類学上有用な外部形質が少ないため、その分類体系は体内の組織学・解剖学的特徴に基づいて構築される。このため、紐形動物の分類学的研究には、パラフィン連続切片組織標本を作製し、体の横断面顕微鏡像を詳細に観察する必要がある。標本をフォルマリン液などで直接固定しようとすると体が強度に収縮・変形してしまい、多くの場合自切してバラバラに断片化してしまうため、固定する前に慎重に麻酔する必要がある。

研究を開始してもどかしかったのは、生時の記録をとどめることの難しさであった。場合によっては美麗な模様などをスケッチするのに長時間を費やさざるを得ず、多毛類や甲殻類を専攻していた院生時代の先輩・後輩が羨ましく思えたこともある。彼らは見つけたサンプルをピンセットで摘み、それをそのままエタノールの入ったガラスバイアルに「ポチャン」と漬ければそれで現場での作業は終わりなのであるから。

記載論文が果たすべき役割の1つは、後世にその生物に出会った人がそれと同定できるのに十分な記述や図を提供することである。ヒモムシには体色や斑紋などで容易に種を同定することができるものが少なくない。したがって外見からこれらを同定するという目的には生時のカラー写真が最適であることは論を待たない。院生時代は35mm銀塩カメラでマクロ撮影をしていたが、絞りの調整などに失敗して涙をのむことも多かった。実体顕微鏡にデジカメをつなげてストロボ撮影が出来るようになったのは現職に就職してからである。院生時代とは隔世の感を禁じえない。

連続切片から内部構造の立体構造を再構築する作業も困難であった。1枚1枚描画装置で描いたあとそれをパラパラめくってみたり、透明なOHPシートを使ってみたりと、いろいろ試行錯誤を繰り返してみたがどれもあまりうまくいかなかった。現在では、光学顕微鏡に接続したデジカメで撮影した画像をPCのハードディスクに移し、「Windows画像とFAXビューア」のような画像ビュアソフトを用いて1枚1枚高速でモニタ上に映せば、かなり容易に立体構造を把握することができる。更に、DeltaViewer (Wada et al. 2003)のような、連続切片にもとづく立体再構築アプリケーションも利用することが出来る。コンピュータを用いた内部構造の立体再構築ビジュアル化の技法を紐形動物研究で最初に取り入れたのは恐らく拙論文(Kajihara 2006)だと思う。この点においても院生時代の研究環境とは雲泥の差である。

4.来し方行く末
 現在までに北海道から沖縄に至る日本国内各所の他、フィリピンにおいても採集を行ない、2新属11新種のヒモムシを記載した(Kajihara, 2002, 2006, 2007a, 2007b, 2007c; Kajihara et al. 2000, 2001, 2003)。この他、フグ毒テトロドトキシンに関する研究(Asakawa et al. 2003; Tanu 2004)、未発表原稿に記載されていた「新種」が図鑑に掲載されてしまったケースに関する命名法上の問題(Crandall et al. 2001)、大槌湾のフォーナルサーベイ(Shimomura et al. 2001)、日本人初のヒモムシ学者高倉卯三麿教授のコレクションに関する研究(Kajihara 2004)を行っており、ヒモムシ以外ではコケムシ(Gordon et al. 2002)とミズダニ(Matsumoto et al. 2005)の研究にも加えていただいた。

日本国内には未記載種・未記録種はまだまだ多く存在し、それらを記載することが私の使命の1つである。日本産種に関しては分類目録を作成したが(Kajihara 2007d)、次なる目標は日本産種全種が同定可能なシノプシス(要覧)の完成であり、その後、死ぬまでにモノグラフ(総覧)を著せればと考えている。

紐形動物に限らないとは思うが、現行の生物の分類体系は、先行する研究者が経験にもとづいて直感的・恣意的に選んだ形質に対する重み付けによって成立していることが多い。その「直感」が正鵠を射ている、つまりその形質がその群の共有形質であることが後に明らかになることもあれば、そうでないこともあろう。これを明らかにするには、分子系統解析を行って推定された樹形を元にして形質の最節約復元を行うのが、現在考えられる最も妥当な方法だろうと思う。その結果、それまで認識されていなかった分類群が見出され、それが、言われて見なければ見当もつかないような形質を共有していることが明らかになる例として容易に思いつくのは、後方鞭毛生物類Opisthokontaの「後方に生えた鞭毛」や、脱皮動物類Ecdysozoaの「脱皮する」という形質などであろう。

受け皿となる分類体系がしっかりしていなければ種分類の研究もままならない。紐形動物の科レベルの分類体系を見直さなければならないという批判は50年以上も前から続いているが(Friedrich 1955; Gibson 1985など)、今に至るまで科レベルでの分類再検討は行われていない。「それなら一丁俺がやってみるか」と着手することにした。とはいえあまりの大事業であるから一部づつ、可能な範囲で行っていくしかない。まず、この目的を遂行するには科のタイプ属のタイプ種を用いた系統解析を行う必要があるが、そのサンプルを採集するためにイギリスとノルウェーに赴いた。これらを用いた解析結果から、思いも着かないような分類群が見出され、それがまた思いもよらないような形質を共有していることが明らかになりつつある。エキサイティングである。これを説明しようとするとかなり専門的になってしまうが、以下にあえて試みてみる。

単針類というヒモムシのサブグループがある。ヒモムシ全体の約4割を占める大きなグループである。この単針類は更に、吻鞘壁の性状によって2群に分けられる。吻鞘壁が縦走筋と環状筋が網籠状に絡み合っている極めて稀な少数派であり、その他の多数派は吻鞘壁が内縦走筋層・外環状筋層の2層からなっている。ここまでは旧来の「直感」に基づいて選ばれた形質が実際に共有形質であったことが分子データからも確かめられている(Tholleson & Norenburg 2003)。この多数派内をどう分けるかが極めてむずかしかった。これまで提唱されてきた「眼点の数」、「吻鞘の長さ」、「副側神経の有無」などはどれも不整合が多いからである。ところが、この群は更に2群に分けられ、それは背血管が吻鞘壁に進入するかどうかという思いがけない形質がこの2群の判別形質として重要であり、背血管が吻鞘壁に進入しない群に含まれる最古参の名義科階級群名はOerstediidaeであるらしい(Kajihara et al. 投稿準備中)。

5.おわりに
 分類学は楽しい。野外で出会った動物が未記載種であると判断できた瞬間。それを美しい標本にして描画・作図する工程。系統解析の結果思わぬOTUがクレードを形成し、それが思いもよらぬ形質を共有していることに思い至った瞬間。それらを記述し、論文としてまとめる工程。論文が出版され、別刷りを受け取る瞬間。いずれも「こんなに楽しくていいのだろうか」と後ろめたさを感じるくらい楽しい。1人でも多くの人が分類学研究を志して欲しい。このたびの奨励賞を弾みに、今後は紐形動物の種分類・体系分類を進めていくと同時に、わが国沿岸に生息する研究の進んでいない動物群にも光を当てて行きたいと考えている。

これまでヒモムシの研究を進めることが出来たのはひとえに馬渡駿介教授、片倉晴雄教授、高久元博士のご指導、ご激励があったればこそである。また、院生時代を共に過ごした高島義和博士、加藤哲哉博士、下村通誉博士には、ある時はフィールドで、ある時は院生室で、様々な議論や相談にのってくださった。心から感謝の意を表したい。Ray Gibson教授、Per Sundberg教授、Frank Crandall博士、Jon L. Norenburg博士にも、ことあるごとにご激励を頂いた。心からお礼申し上げる。

参考文献
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