学会賞・奨励賞関連

ヌタウナギの発生学

理研・発生・再生科学総合研究センター形態進化研究グループ
研究員 太田欽也

はじめに
 この研究の始まりは、現在の所属長である倉谷滋氏のある言葉から始まる。私が博士課程の学生の頃、倉谷滋研究室を訪れ、何気ない会話を倉谷氏と交わしていたときのことである。倉谷氏が「ヌタウナギ類の胚は100年前からほとんどとられていない、これを研究すれば世界が驚くぞ。君やってみるか?」と私に尋ねた。研究の世界に入って間もない私にとって「世界が驚く」という言葉がとても魅力的に聞こえた。そこで、私は「ヌタウナギの発生学ですか。それ、おもしろそうですね。やってみたいです。」と半分冗談交じりで答えた。結局、紆余曲折あって、2004年から私は、理研・発生・再生科学総合研究センター形態進化研究グループで本当に「ヌタウナギの発生学」を研究し始めることになる。
 しかしながら、「ヌタウナギの発生学を研究する。」と一言で言っても、100年間まともに受精卵が取られていない生物で発生学をしようというのであるから大きな賭けである。ここでは、この研究の過程で、どのような幸運にめぐまれ、どのような判断をしてきたかを歴史的背景などを踏まえたうえで、より多くの方と驚きを共有できるように、簡単に説明したいと思う。

ヌタウナギ類の発生学の歴史
ヌタウナギ類は脊椎骨を欠き、目や鰭が退化しているため見るからに原始的であるような印象を受ける。そのため、この動物の系統的位置は脊椎動物進化研究上で論議の対象となってきた。近年、盛んに用いられる分子進化学的手法によって、ヌタウナギ類はヤツメウナギ類とともに円口類を形成し、顎口類とともに脊椎動物を形成すると推定されている。ただし、一方で、化石などから得られる形態データを用いて系統関係を推定するとヤツメウナギ類と顎口類が脊椎動物という分類群を形成し、ヌタウナギ類は脊椎動物の外群として扱われ、分子データとは異なる結果が導かれる。この分子データと化石データとの間の不一致に関しては、現在においても論議が絶えない。よって、当然のことながら、この両者の間を埋めるために発生学的知見が役立つと考える研究者もいたが、この動物の胚体を入手することに成功した者は限られている。
18世紀の中ごろから、この動物はその原始的な形態から「脊椎動物と無脊椎動物をつなぐ興味深い動物」として認識され始める。事実、1864年にはデンマークの王立アカデミーによって大西洋産ヌタウナギ(Myxine glutinosa)の生殖についての研究に対して賞金が設けられていることから、当時の欧州における動物学者の熱意の高まりは相当なものであったと伺える(ちなみに、この賞金はあまりにも報告が無いために1980年代に取り下げられた)。この賞金の影響かどうかは定かではないが18世紀中ごろには世界中の海域でヌタウナギ類の卵を探索するための調査が盛んに行われた。そして、18世紀の末にPrice, von KupfferそしてDeanの3人の動物学者がアメリカ・カルフォルニア・モントレー湾で捕れたアメリカ産のヌタウナギ(Eptatretus stouti)の発生を報告した。これら3人のうちでDeanのみが大量の胚を採集することに成功するのである。そして、これらのDeanのヌタウナギ胚は彼の知人であるConelに譲られることになる。Conelは1930年にDeanが受精卵を得た同じ海域でいくつかの胚を入手し、これらをあわせて、ヌタウナギ胚の組織学的観察を行い、1941年に神経堤細胞について観察を行った。後に詳しく説明するが、Conelの描いた神経堤細胞が一般的な脊椎動物と大きく異なるため、後の脊椎動物進化研究に混乱をもたらすことになったのである。
Deanが大量の受精卵を採集して以降も、引き続きこの動物の発生について研究するために、世界の各地で調査がなされる。しかし、Deanのように大量の胚が得られたという報告は無い。特に、初期胚が得られた報告は皆無であり、ヌタウナギの発生学については100年間の間ほぼ進展が無かったというのが現実である。

水槽飼育下で得られたヌタウナギ胚
ヌタウナギ類は北極と南極を除く世界中の海域に分布しており、そのほとんどの種が深海性である。よって、100年間この動物の発生学にほとんど進展が無かった問題点として、この動物が深海性であるために、産卵生態などの発生学的研究を行うための基礎的知見が乏しいうえに、胚体を自然界から採集することが困難であることなどが挙げられる。ただ、幸運なことに日本近海にはヌタウナギ目ヌタウナギ(Eptatretus burgeri)という、ヌタウナギ類の中でも比較的浅い海域に生息し実験に適したヌタウナギ類が分布している。私はこのヌタウナギという種に注目して研究を進めることにした。
 私は研究に使える採卵受精が可能な親ヌタウナギを入手するためには、ヌタウナギの生態に詳しい漁業者の協力が不可欠であると判断し、協力的な漁業者を探し出すことからはじめた。そして、島根県の江津市で漁を営む柿谷紀氏の協力を得て研究を進めた。柿谷氏は島根沖のヌタウナギの生態に非常に詳しく、同氏と出会うことができたのはひとつの幸運であったといえる。2005年10月から島根沖から採集されたヌタウナギ25尾を水槽内で飼育したところ11月に92粒の卵を得ることができた。この段階ではどれが受精卵かは全くわからなかったのでひたすら待つことにした。そして、待つことじつに5ヶ月。翌年の3月に発生中の胚を7つ確認することになる。結果として首尾よくヌタウナギ胚を得ることに成功はしたが、まさか、このような長い期間待つ必要があろうとは想像もしていなかった。

ヌタウナギの神経堤細胞
 胚の数は7つしかないため、実施できる実験には限りがある。よって、もっとも効率よくかつもっとも世界が驚くテーマはどのようなものかを所属長である倉谷滋氏と論議した。
その結論が、ヌタウナギの神経堤細胞である。先にも述べたとおり、Conelは1941年にDeanと自分の収集した胚を用いて組織切片を作成し神経堤細胞を観察している。通常、一般的な脊椎動物では、神経堤細胞は発生の過程で神経管から分化し、脱上皮化して「移動する神経堤細胞」となり、これらが色素細胞、末梢神経そして軟骨細胞などに分化し脊椎動物としての体を作って行くことになる。つまり、移動する神経堤細胞を持つことは脊椎動物のひとつの大きな特徴と言える。しかしながら、Conelの記述に従えば、ヌタウナギの神経堤細胞は脱上皮化することなく、ポケット様の構造を神経管の側面に形成するというのである。つまり、Conelの記述が正しいとするならば、ヌタウナギ類は一般的な脊椎動物とは全く違う、外見どおりの原始的な、発生プログラムを有する可能性が考えられる。一方で、Conelが間違っており、この動物が一般的な脊椎動物と同様に、脱上皮化して移動する神経堤細胞を持っているとすると、脊椎動物に似つかわしくない外見を有するこの動物も一般の脊椎動物と同様の発生プログラムを持っているということになる。どちらに転んでも、世界を驚かすことができるような知見が得られるであろうと判断した。
神経堤細胞を観察するために、私は組織学的観察と遺伝子発現解析の両方を行うことにした。得られた7つの胚のうち1つを遺伝子単離のために用い、残り6つを組織観察用に固定した。固定の際に2つを卵殻を取り除き観察した後、ブアン液で固定し、1つを卵殻つきのままDeanやConelたちがしたのと同様の方法でブアン固定を行った。残りの3つは卵殻を取り除き、遺伝子解析が可能なように4%のパラフォルムアルデヒドで固定した。
 2つの卵殻を剥いてブアン固定された胚の体幹部の組織切片を作成したところ、この動物の胚の体幹は魚類よりもむしろニワトリの体幹を連想させるような像を示し、研究室の皆と驚くところとなった。問題の神経堤細胞であるが、Conelの記述のようなポケット様の構造は存在せず、一般的によく知られた脱上皮化して移動する神経堤細胞が確認された。そして、確認のためDeanやConelが行った方法と同じやり方で固定した胚を調べてみると、Conelの記述したポケット様の構造が確認された。Deanの記述を詳しく見ると、彼は殻つきのまま、固定された胚が卵黄に圧迫されてアーティファクトを生じさせることを指摘している。つまり、Conelの見たポケット様の構造は卵殻つきのまま固定された胚に生じたアーティファクトを観察していた可能性が極めて高い。
さらに詳しく、分子レベルでの観察を行うために、Sox9を含む5つの遺伝子をヌタウナギ胚から単離し、Section in situ hybridizationを行った。その結果、神経堤細胞に発現することが確認されているSox9遺伝子の発現が神経管の背側および移動する神経堤細胞に明確に認められた。さらに、胚全体での神経堤細胞の様子を確認するために、残された2つの胚のうち1つを使って、Sox9をプローブに用いたWhole mount in situ hybridizationを行った。当然、ヌタウナギ胚に最適化されたWhole mount in situ hybridizationのプロトコールなどは存在しなかったのであるが、ESTデータなどからヌタウナギのゲノムのGC含有率にそれほど偏りが無く、ニワトリと同様のSection in situ hybridizationのプロトコールで比較的良好な像が得られているために、ニワトリと同様の方法でうまくいくであろうと判断した。結果として、一回の実験でよい結果が得られ、一般的な脊椎動物に見られる神経堤細胞と同じ分化と移動の様子がヌタウナギでも確認された。

この動物が教えてくれたこと
 ヌタウナギから脊椎動物と同じ移動する神経堤細胞が確認され、私の結果は分子進化学的手法に基づく系統樹を支持するところとなった。つまり、この動物はヤツメウナギ類や顎口類と同じ脊椎動物であることはほぼ間違いなさそうである。ヌタウナギ類とヤツメウナギ類を含む円口類と顎口類とが分岐したのがおよそ5億年前のカンブリア紀とされている。よって、ヌタウナギにも一般的な脊椎動物に見られる神経堤細胞が存在することが明らかとなったことから、神経堤細胞の起源は5億年前までさかのぼれることが考えら得る。つまり、脊椎動物の体を作り出すための基本的な仕組みがすでにカンブリア紀の段階ですでに出来上がっていた可能性が非常に高いことを今回の研究結果は示唆しているのである。
 今後、この動物を用いることによって今まで明らかになっていない脊椎動物進化研究上の新事実が明らかになるのではないかと考えている。たとえば、脊椎骨、下垂体、甲状腺、鰓弓系などの進化的起源を明らかにしていく上でこの動物は重要な役割を果たすであろう。なお、私の研究内容をさらに詳しく理解したい方はOta and Kuratani(2006)とOta et al. (2007)を参考にしていただくと幸いである。

参考文献
Ota KG, Kuratani S. The history of scientific endeavors towards understanding hagfish embryology. Zoolog Sci 2006;23(5):403-18.
Ota KG, Kuraku S, Kuratani S. Hagfish embryology with reference to the evolution of the neural crest. Nature 2007;446(7136):672-5.