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イワハマムシの集団構造と地理分化

* 小林憲生(北海道大学大学院理学研究院・北海道大学博物館)/宝示戸すみれ(北海道大学大学院理学院)/片倉晴雄(北海道大学大学院理学研究院)
* 現職:埼玉県立大学保健医療福祉学部

Zoological Science Award 2011 受賞論文

Zoological Science 27: 723-728
Sumire Hojito, Norio Kobayashi and Haruo Katakura
Population Structure of Aegialites Beetles (Coleoptera, Salpingidae) on the Coasts of Hokkaido, Northern Japan.

はじめに
 近年、生物の地域集団間に存在する遺伝的分化の成立過程や分化をもたらした進化的要因を探る集団遺伝学的・系統地理学的研究が盛んに行われているが、緯度、経度、標高(あるいは水深)という3次元の空間に生息する一般の生物集団の遺伝的関係の解析では、それぞれの次元軸にそった集団間の移動分散を考慮しなくてはならず、その解釈はしばしば困難である。しかし、生物の中にはいわば1次元空間に生息するものが存在する。例えば、海と陸が出合う“海岸”に特化した生物である。これらの生物の場合には、1次元の線上に分散するハビタート間の移動・分散を考慮すればよいので、解析結果の解釈はより容易になると期待される。このような観点から、私たちは、海岸の岩礁地帯に生息するイワハマムシという甲虫を材料にして、北海道沿岸の地域集団の遺伝的分化を調査した。
  
 イワハマムシ
 イワハマムシ(Aegialites stejnegeri Linell, 図1)は、チビキカワムシ科(Salpingidae)に属する体長3-4 mm程度の甲虫である(河野, 1936; 1938)。この小さな甲虫は、岩場、それも満潮時には岩の下の部分が水没してしまうような、海にせり出した大きな岩でのみ見ることが出来る(図2)。彼らは、その岩の裂け目の奥で暮らしており、岩の表面に付着した藻類などを餌としているらしい(杉原,1938)。後翅が退化し、飛翔能力を欠くことから、移動・分散が限られ、地域集団間の遺伝的分化が大きいと予想される昆虫である。

図1.イワハマムシ

 図2.左:イワハマムシの生息環境(積丹・神威岬).右:このような岩礁の割れ目の内部に生息する.

分布
 イワハマムシの仲間(Aegialites属)はこれまでに、サハリン、北日本、千島列島、アリューシャン列島、アラスカといった太平洋北部に面した地域で報告されているほか、ペルシャ湾でも報告がある(Zerche, 2004)。日本からはイワハマムシ1種が報告されているが、従来の記録は断片的で、確実な記録は北海道の日本海に面する積丹や留萌、本州最北部の下北半島のみに留まっていた(大原他, 1989; 雛倉, 1990; 荒木, 1994)。そこで、北海道沿岸各地で生息状況を調査し、あわせて、集団解析用の資料を収集した所、合計44の調査地点のうち17地点からイワハマムシを採集することができた(図3)。砂浜の多いオホーツク沿岸や北海道東部太平洋岸でも、岩場にはイワハマムシが暮らしている事が確認された。一方、一見好適に見える磯の続く噴火湾から渡島半島全域の沿岸では、全く採集することができなかった。


図3.北海道沿岸におけるイワハマムシの分布.●グループA、○グループB.×印は一見好適そうな条件を備えているにもかかわらずイワハマムシの採集されなかった地点.

遺伝的分化
 17地点から得た249個体のイワハマムシのミトコンドリアDNA ND2遺伝子領域の一部の配列(553 bp)を決定・比較し、35種類のハプロタイプ(遺伝子配列型)を検出した。塩基置換数に基づきMedian-joining 法(Bandelt et al., 1999)でネットワークを作成した所、これらのハプロタイプは遺伝的に大きく異なる2つの系統(A系統とB系統)に大別された(図4)。2つの系統の分岐は古く、昆虫で広く用いられている分子時計の値(2.3%/site/Mya; Brower, 1994)を用いると、361万年前(中期鮮新世)と計算される。さらに、この2系統のハプロタイプを持つ個体(以下、AグループとBグループ)は、ほぼ異所的な地理的な分布域を持つことも明らかになった(図3)。Aグループは日本海およびオホーツク海で、Bグループは太平洋岸および知床半島で採集されている。北海道北東部における両者の分布境界はオホーツク海沿岸の南部であり、イワハマムシの生息出来ない砂浜が発達している地域を挟んで北部にはAグループ、南部(=知床半島)にはBグループが生息する。一方、北海道南部においては、噴火湾沿岸と渡島半島全域を含む分布空白帯を挟んで、日本海側にAグループ、太平洋側にBグループが生息している。唯一の例外として、Aグループが優占する日本海側の瀬棚集団に1個体だけDNAの塩基配列上Bグループに属すると判別される個体が含まれていたが、これは取り扱いミスの可能性を否定できない。
 ここで海流に目を向けてみると、Aグループは、日本海沿岸から宗谷海峡を経由してオホーツク海沿岸にいたる対馬暖流が洗う地域に分布し、一方、Bグループは太平洋南西域の親潮寒流が流れる領域に分布している事が判る。イワハマムシの現在の分布を規定している要因ははっきりしないが、海流や気候などの影響を受けている可能性が高い。


 図4.北海道沿岸のイワハマムシで確認されたND2ハプロタイプのMedian-joining network.A:A系統のハプロタイプ、B:B系統のハプロタイプ、C:全パプロタイプ.Bにおいて灰色で表示されているのはヌル・ハプロタイプ.ハプロタイプを結ぶ線の長さは遺伝的違いに比例.A、B、Cのスケールが異なることに注意.

集団構造
 ハプロタイプの保有数とハプロタイプ間の塩基置換数から地域集団間の遺伝的分化(FST及びdA)の程度を評価すると、日本海・オホーツク海側(Aグループ)の地域集団間では有意な分化は認められないが、太平洋側(Bグループ)の地域集団は有意に分化していた(表1)。また、A、Bいずれのグループにおいても、地域集団間の遺伝的分化と地理的距離の間に相関は認められなかった(表2)。つまり、沿岸という1次元的な環境に棲息しているにもかかわらず、イワハマムシの集団分化は集団間の物理的距離に従うというような単純な構図を示さなかったのである。
しかし、集団サイズの進化的増減を示す指標(Tajima’s D, Fu’s Fs)などを用いると、2つのグループが異なった歴史的背景を持つことが浮かび上がってきた。これらの指標によると、Aグループは集団サイズを急速に増加させたのち、日本海側の各地で定着した可能性が高い。一方、Bグループに関しては、急速な集団サイズの増加を示す数値は得られていない。更に、Bグループの中でも、千島列島の最西端に近い知床半島北東部の集団(羅臼)の遺伝的多様度が高く、同じく千島列島に近い知床半島南西部の集団(知床)は、B系統の中でも遺伝的に分化したハプロタイプ(No. 26;図4)を保有していた。これらの事実は、Bグループの集団が、より東の地域から複数回に渡って移住してきた可能性を示唆するものである。
  

イワハマムシ2系統の分化プロセス
 鮮新世から更新世に掛けて、気候は周期的に変動し、それに応じて海水面も著しく変動した事が知られている。こうした気候や地形の変動はイワハマムシの生息地である潮上帯にも様々な影響を与え、現在私たちが見ている彼らの分布パターンの骨格を作り上げたにちがいない。以下に示すのは、イワハマムシの2つのグループの分化に関する一つの仮説である。1)祖先のイワハマムシは、北西太平洋の海岸線に棲息していた。2)一部の集団が鮮新世の時期に日本海形成に伴い隔離された。3)日本海に隔離されたAグループ(の祖先)と、太平洋に棲息するBグループ(の祖先)は遺伝的に分化した。4)Aグループは、およそ2万年前の最終氷期の間に集団サイズを減少させた後、5)後氷期の気候温暖化により日本海北部に分布を拡大し、さらには宗谷海峡を経由してオホーツク海沿岸にも侵入した。


北日本の沿岸性生物の分化
 上記の仮説の当否は今後の研究にゆだねるとして、東西に分化したイワハマムシの特徴的な分布はこの昆虫に固有なものなのだろうか。それとも、北日本の沿岸に住む移動力の低い生物に共通のものなのだろうか。面白い事に、北日本におけるイワハマムシ2グループの分布パターンは、同じく岩礁の潮上帯に生息するクロタマキビ(Littorina sitkana Philippi)の分布パターンと非常に良く似ている。このタマキビは、1つの系統が日本海・オホーツク海の海岸線に生息し、もう一方が太平洋に生息していることが報告されているのである(Nohara, 1999)。イワハマムシとクロタマキビの分布パターンの詳細は渡島半島や知床周辺において幾分異なっているが、Nohara(1999)は、クロタマキビの異所的な分布パターンは2つの系統が最終氷期に地理的に隔離された結果であると考察しており、今回の解釈と一致する。つまり、イワハマムシとクロタマキビという2種の潮上帯動物が示す良く似た異所的分布パターンは、彼らが第四紀に経験した同じプロセスによって生み出されたと考えることが出来そうである。仮にこの解釈が正しいとすれば、この2種のみならず、北日本の沿岸域に生息する生物の多くに同様な東西の集団分化が見られる可能性がある。
津軽海峡(ブラキストン・ライン)は、ある時期には北海道と本州をつなぐ陸橋となり、別の時期には陸上動物の移動を妨げる海峡となって、陸上生物の分布に様々な影響を及ぼしてきたと考えられている(増田,1999参照)。しかし、この海峡が海産生物の分布と分化にどの様な影響を及ぼしたかは殆ど研究されていない。今回紹介したイワハマムシやクロタマキビの例は、この海峡が日本海と太平洋に住む海洋生物の分布境界として一定の役割を果たした可能性があることを示している。私たちの研究に刺激を受けた北海道大学のマシュー・ディック教授は、学術振興会科学研究費の補助を受け、沿岸性海洋生物の東西分化に及ぼす津軽海峡の役割の検討を始めており、その成果が期待される。

分類学的扱い
 今回の調査では、得られた全ての個体をイワハマムシ(Aegialites stejnegeri)として扱った。しかし、本研究が明らかにしたように、北海道沿岸のイワハマムシには遺伝的に大きく異なり、おそらく歴史的背景も異なる2つのグループが存在している。この2グループが同一種内の地理的変異なのか、それとも2つの独立種なのかは今後に残された課題である。近年、Zerche(2004)は千島列島から複数のAegialites属の種を記載している。今後は、Zercheが記載した種との比較検討を含め、北海道に棲息するイワハマムシ2グループの分類学的地位について検討する必要があるだろう。

引用文献
荒木哲 (1994) イワハマムシを本州で発見 甲虫ニュース 108: 10

Bandelt HJ, Forster P, Röhl A (1999) Median-joining networks for inferring intraspecific phylogenies. Mol Biol Evol 16: 37-48

Brower AVZ (1994) Rapid morphological radiation and convergence among races of the butterfly Heliconius erato inferred from patterns of mitochondrial DNA evolution. Proc Natl Acad Sci USA 91: 6491-6495.

雛倉正人 (1990) イワハマムシ—北海道における冬期の生態 蝦夷白蝶 14(1): 66-67

河野廣道 (1936) 岩濱蟲科 日本動物分類 Vol.10 Fas.8-No.2

河野廣道 (1938) イワハマムシに関する研究 昆蟲界 6 (46): 1-5

増田隆一 (1999) 遺伝子から検証する哺乳類のブラキストン線 哺乳類科学 39 (2): 323-328

Nohara M (1999) Genetic and conchological variation in Littorina sitkana Philippi (Mollusca, Gastropoda) on northern Japanese coasts. Zool Sci 16: 309-317

大原昌宏, 工藤慎一, 神田正五 (1989) 道立自然公園総合調査(狩場茂津多道立自然公園)報告書 VI 動物 第3章 昆虫類: 147-174

杉原勇三 (1938) 千島に於けるイワハマムシの観察 昆蟲界 6 (46): 6-12

Zerche L (2004) Revision der Gattung Aegialites Mannerheim (Coleoptera: Salpingidae: Aegialitinae). Stuttgarter Beitr Naturk, Ser A 666: 1-116

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