トピックスメコンオオナマズの絶食を伴う摂餌周期
池谷幸樹(世界淡水魚園水族館)
Zoological Science Award 2012 受賞論文

Zool. Sci. 28: 545-549
Koki Ikeya and Manabu Kume
Seasonal Feeding Rhythm Associated with Fasting Period of Pangasianodon gigas: Long-Term Monitoring in an Aquarium

はじめに
 水族館の飼育スタッフは残念ながらドリトル先生のように魚と会話することはできません.主に摂餌の反応とアクリルガラス越しに見た行動観察で,魚の状態を見極めます.餌への反応が悪い場合,前日はどうだったのか?水温の変化は?水質は?といった具合に,食欲がない原因を探ります.単に飽食なら要らぬ心配ですが,同じ水槽の他の魚は餌を食べているのに,ある個体だけが連日食べないのであれば,その個体が死亡することも想定しなくてはなりません.反対に体表が鬱血していたり,粘膜がはがれていたりといった病状が認められても餌を食べているのであれば回復する見込みがあり,内服薬を投与することやビタミンを補給することも可能で,治療の糸口が見いだせます.個体管理ができていれば個体ごとの摂取カロリーまで計算でき,生理現象や代謝変化の傾向をつかみ予測のもとに飼育することが可能で,さらには近親交配を避けるなど血統を管理することもできます.本研究はまさに,水族館での個体管理をもとに行動観察を行った研究であり,様々な生物に応用が効くものと考えています.

図1.世界淡水魚園水族館(岐阜県各務原市)で飼育されているメコンオオナマズ

メコンオオナマズの個体管理飼育
 今回研究対象としたメコンオオナマズは,タイ語でプラー・ブック(プラーは「魚」,ブックは「大きい,強い」という意味)と呼ばれ,昔から「雄は常にメコン河上流にある中国の大理湖に棲んでいて雌は下流からやってきて産卵し,再び河を下る」であるとか「もともと海の魚で,龍神がメコン河を開いた際に,最初に河を上った魚」などなど,様々な伝承が流域住民の間に残っている神秘的な魚です.巨大魚であるだけでなく,捕れる場所や時期が限られていること,数が少なく滅多にお目にかかれないこと,さらにはメコン河で卵や稚魚が未だ見つからないことなどから,昔から特別な存在としてみなされてきました.現在では養殖されて食卓に上っていますが,自然における生態は未だ謎だらけです.
 そんなメコンオオナマズを幸運にも?飼育する機会を得ました.2004年5月にタイ国より6個体のメコンオオナマズを寄贈され,世界淡水魚園水族館(岐阜県各務原市)にて飼育することになったのです.筆者は,その数年前にバイカルアザラシのパップ(幼獣)6頭をバイカル湖から運び,個体管理して育てた経験から,メコンオオナマズも個体管理を行うことができれば健全に飼育できる自信がありました.当時の担当者4名で個体識別可能か挑戦してみました.バイカルアザラシは眉毛の毛穴の数が個体によって違い識別することができましたが,メコンオオナマズに眉毛はありません.大きさも体型も同じなので,半分あきらめていた筆者をよそに,他の担当者は優秀で,すぐに体全体にあるホクロのような小斑点を識別ポイントに個体を識別してくれたのです.どの角度から見てもメコンオオナマズを個体識別できるよう他にも様々な識別ポイントを皆で共有認識し,2004年6月18日から個体管理を始めました.毎日どの個体がどれだけ餌を食べ,行動がどうであったかを記録していきました.これを毎日のルーチンワークとして6年間続けた結果,そもそも健康管理が目的で始めたことでしたが,メコンオオナマズの思いもよらぬ生態を知ることになるのです.


図2.個体識別方法
メコンオオナマズ全個体の体全体にわたり小黒斑が散在し,黒班の大きさ・位置が各個体で異なるため,それらを把握し個体を識別した.

「絶食」とは?
 「絶食」という言葉をただ単に餌を食べない現象と捉えると,生物によっては餌を食べすぎて一時的に摂餌しない「飽食」,また急激な環境変化や疾病,あるいは消化不良・食滞があるために起こる「摂餌不良」なども絶食ということになりますが,ここでは上記のような例を除いた長期間無摂餌状態になる現象を「絶食」と考えます.
 野生下での長期にわたる「絶食」は様々な生物で知られています.温帯では冬眠するコウモリやカエルの例があり,南極にはエンペラーペンギンのように繁殖のために120日間もの間絶食しながら移動する生物もいます(Williams, 1995).魚類ではドジョウが泥の中で冬に絶食することや,サケの仲間が繁殖のために河川を遡上する際に絶食することはよく知られています(宮地ほか, 1975).繁殖期前にしっかりと栄養を蓄え,繁殖期間中餌を食べない絶食や,季節によって餌が無くなり,その制限を受けて食べなくなった絶食は案外知られていないだけで,まだまだ多くの生物の現象として存在するのかもしれません.
 そう考えるきっかけになったのが,メコンオオナマズの個体管理を始めておよそ3か月が経過した時でした.メコンオオナマズが6個体ともに急に餌を食べなくなったのです.メコンオオナマズが絶食するなんてことはどの文献にも書いて無く,寄贈元のタイ国のアユタヤ内水面試験場で飼育説明を受けた際も,そんな話はまったくありませんでした.初めのうちはただの飽食と思い,何の心配もしませんでした.やがて10日,20日,30日と経過し,3個体は餌を食べ始めましたが,残りの3個体は引き続き食べませんでした.さすがに不安になり何らかの疾病を疑いました.外見上は健康そのものであったため,消化器系の異常かとも思いました.餌を食べない場合,内服で治療できないのであれば,外科的に処置するしか方法がありません.しかし何の疾病かもわからずに魚を取り上げて外科的処置を行う度胸は無く,何もできないまま,2か月が過ぎました.代謝活性の高い水温28℃で飼育する熱帯魚が,繁殖期でもないのに餌を数カ月間食べないとなると,他の魚種では背肉が落ち,腹部は凹み,頭部だけが大きく見える“ピンヘッド”状になり,いかにも病的に見えます.それなのにこの魚はいたって健康に見えました.

図3.餌および給餌方法

 結局最後まで餌を食べなかった1個体は121日間もの絶食を敢行し,どの個体も絶食後はまたガツガツと餌を食べ始め,何事もなかったかのように平然と泳いでいました.その後も幾度となく,このような絶食を繰り返すことから,もうこうなると絶食することが当たり前と考えざるを得ません.


図4.メコンオオナマズが食べている糸状付着藻類であるシオグサの仲間 Cladophora spp.

 野生のメコンオオナマズは,体が大きいわりにシオグサという緑藻類しか食べない象のような魚と考えられています.もっとも巨大魚の主食だけあってメコン河のシオグサの栄養価は他の藻類に比べて高いことがわかっています(鰺坂, 2004).メコン河の水位が下がる乾季,シオグサは一斉に何メートルも伸び,場所によっては水面が緑色に覆われるほどであるといいます.逆に雨季には水位が上がり,川底まで陽の光が届かなくなるために繁茂しなくなります.「もしかしたら,メコンオオナマズは,乾季にのみ豊富にある高栄養のシオグサを盛り盛り食べ,あとは絶食して過ごすのかもしれない!」 この仮説を検証するために,餌を食べる期間と絶食する期間の周期パターンを解析しました.計測等ハンドリングの影響を受けている可能性のある1個体を除いて,パワースペクトル分析を行ったところ,ほぼ365日周期,そして,摂餌期と絶食期の出現パターンはタイ国での乾季・雨季に同調し,それは餌となるシオグサの出現周期と見事に一致したのです.

図5.各個体の毎日の摂餌量の変化
A: No. 1, B: No. 2, C: No. 3, D: No. 4, E: No. 5.

図6.メコンオオナマズの毎日の摂餌量データをパワースペクトル分析した結果
矢印は各個体の顕著なピークおよび不明瞭なピーク,変曲点を示す. A: No. 1, B: No. 2, C: No. 3, D: No. 4, E: No. 5.

図7.メコンオオナマズ(個体B: No. 2)の毎日の摂餌量とタイ北部チェンライの降雨量との関係

 シオグサを専食するがゆえに長い進化の過程で,あらかじめ餌のない雨季に合わせて絶食態勢に入るように適応したのでしょう.絶食中は,むしろ少し神経質で平常時よりも速く泳ぎまわる理由は未だにわかりません.温帯域の生物が冬に穴などにもぐりエネルギーを使い果たさないよう基礎代謝を下げ,じっと動かずにやり過ごす絶食とは明らかに異なります.さらには外光も入らず,水温も一定に調節されている水族館の水槽で今なおその周期性を保っていること自体が驚きで,自らの生物時計の概念を覆された出来事でした.


図8.個体No.1の長期(121日間)絶食前後の体型の比較
上段:絶食前(2004.9.10撮影) 
下段:絶食後(2005.1.20撮影)

おわりに
 今回の研究を通じて野生動物の野生下での「絶食」や「摂餌周期」の報告が少ないことに驚きました.しかし,考えてみれば野生動物の摂餌行動を長期間モニタリングすることは困難を極めるので当然のことでしょう.撮影機器やデータロガーの性能が大いに進化した今でも野生下で収集できるデータは限られています.
 その一方,野生下で把握できない生態や行動の手掛かりは,飼育下での長期モニタリングを通じて得ることができる可能性が十分にあると考えるようになりました.摂餌行動以外にも,生物を飼育してデータを集積する研究である場合,まずその対象となる生物を安定して飼育できるかどうかは研究の成果を左右することになります.通常,大学や研究機関で生物を長期飼育することは経済的にも人的にも非常に難しいため,ある程度寿命の長い生物(世代交代までの時間が長い生物)の長期モニタリングを前提とした研究は,これまであまり発展してこなかった分野ではないでしょうか.反対にサイクルの短い生物の研究は低コストでやり直しが効くので多く行われてきたように思います.
 だからこそ今,わくわくするような研究の材料が水族館に転がっていると考えています.目的は違っても水族館はすでに生物を安定的に飼育することはクリアーしています.ただ,水族館の飼育スタッフは生物の飼育に長けていても客観性や再現性を持たせた研究・実験デザインを描くことができないので,そこには研究者の手助けが絶対に必要です.研究機関が水族館と組むことで,飼育専門スタッフを擁する海外の研究チームとも対等に渡り合えるのではないでしょうか.理想は水族館と研究機関が互いの立場を尊重し,共通の科学的価値観を持って対等に研究に取り組むことです.これまでも名ばかりの共同研究はありましたが,対等な関係が築けていたかは疑問が残ります.そして新たな研究成果を一般の人々(来館者)にわかり易く伝えるべきだと思います.論文のままでは多くの人が理解できませんので,水族館が啓発機関として,一般の人々への橋渡しを果たすべきでしょう.何しろ全国の水族館には年間約3千万人もの人が訪れているわけですから,その啓発効果は計り知りません.
 今後,研究機関と水族館が生物の展示・研究・啓発を協同で行うことで新しい研究ケミストリーが生まれることを大いに期待しています.


参考文献
鯵坂哲朗 (2004) 矢作川産カモジシオグサとメコン川産シオグサ類の栄養分析. 矢作川研究 No.8, 75-84.
宮地傳三郎・川那部浩哉・水野信彦 (1965) 原色日本淡水魚類図鑑 (改訂版)pp. 137-139. 保育社.
富岡憲治・沼田英治・井上愼一 (2003) 時間生物学の基礎. 裳華房.
Williams, T. D. (1995) The Penguins (Bird Families of the World). Oxford University Press. (トニー・D・ウィリアムス ペンギン会議 (訳) (1999) ペンギン大百科 平凡社)
 

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