学会賞受賞者講演

2020年 日本動物学会賞 受賞者講演

2020年9月4日(金) 15:00〜16:00 (ウェビナー参加登録

講演者:
飯野 雄一  IINO, Yuichi(東京大学大学院理学系研究科・教授)
線虫の化学物質への応答行動を制御する分子機構と神経回路機構
Molecular and neural circuit mechanisms in the nematode Caenorhabditis elegans that regulate behavioral responses to chemical substances.

線虫C. elegansは多種多様な動物の中で特に面白い行動を示すというわけではない。しかし行動がどのように作り出されているかを知る上では有用な実験動物である。電子顕微鏡解析により体の全構造が解明され、体を構成するすべての細胞が細胞系譜から構造まで詳細に記載されている。特に、神経系については神経突起の配線とシナプス結合を含む全構造が明らかにされているため、それぞれ個性を持った300個ほどの神経が作る神経回路の情報処理機構を研究する上で、他の動物にはない独特な研究基盤を提供する。
私たちの研究室では、いくつかのアプローチによって行動機構の解明に挑んでいる。分子レベルの研究では、匂いおよび塩に対する化学走性行動とその可塑性に関わる分子を、順遺伝学的アプローチ、すなわち化学物質への誘引行動や忌避行動、さらには学習による行動変化を正しく行えない変異体を検索する方法によって多く同定した。このうち特に、インスリン経路は、飢餓の経験により塩や匂いを忌避する行動が生じる際に重要な経路として同定された。興味深いことに、線虫はインスリン受容体様遺伝子をひとつしか持たないが、選択的スプライシングにより2種類の主要なインスリン受容体が作られる。この一方は神経突起に輸送されて働き、他方は主に細胞体で働き、これらいずれもが学習による行動変化に寄与していた。
線虫は学習により塩への誘引と塩からの忌避の行動を短期的に切り替える。このような正反対の行動の切り替えをもたらす神経機構についても興味を持って研究を進めてきた。カルシウムイメージングによる神経活動の観測より、感覚神経は常に同じ応答をするのに対して、そこから接続した1次介在神経は学習により正負逆の応答を示すよう変化することがわかった。すなわち、感覚神経―介在神経のシナプス伝達が変化することが行動変化の要因になっている。この切り替えにはホスホリパーゼC/ジアシルグリセロール/プロテインキナーゼC経路が働いていることも明らかになった。
線虫の神経系の回路構造はまさに網の目状である。この回路はどう行動を生み出すのだろうか。さらに、学習により行動変化が起こる際に、単一のシナプスが変化するのだろうか、あるいは神経回路の中で多くの変化が総和として行動を決めているのだろうか。これらに答えるため、頭部の全神経の活動を測定する研究を推進している。さまざまな技術的課題が存在するが、それらを順次解決しつつ神経回路の全貌に迫るべく研究を進めている。
これらの現状について紹介し批判を仰ぎたい。

田中 実  TANAKA, Minoru(名古屋大学大学院理学研究科・教授)
メダカを用いた生殖細胞と性決定の研究
Germ Cells and Sex.

性がどのように決まるのか。この問題は昔から多くの人々の関心を集めてきた。メダカは日本の動物学が世界に誇る実験動物の一つであり、その性はY染色体上の性決定遺伝子DMYの有無によって遺伝的に決まる。DMYが働くと精巣ができ、生殖細胞は精子へ分化する。
生殖細胞は次世代を紡ぐ、生き物に不可欠な細胞でありながら、一方で体細胞によって制御される受動的な細胞と一般に認識されてきた。ところがメダカではこの生殖細胞が性決定に深く関与し、卵巣形成と身体のメス化に必須な細胞であることが明らかとなった。そしてこの生殖細胞によるメス化が起きないと、DMYがなくてもメダカは機能的なオスとなる(1)。さらに卵巣と精巣には生殖幹細胞が存在し、この生殖幹細胞制御を通じた生殖細胞数の制御が性決定に重要であることも明らかとなった(2-4)。この生殖細胞による性の制御は、通常の性決定では性決定遺伝子の下流で働く分子機構と認識されるだろう。しかしこの制御だけを変化させることで、性決定遺伝子の有無に関わらず独立して性を決めることができることから、この制御は通常の性決定に組み込まれた性を決めるコアメカニズムと理解できる。さらにコアメカニズムに関与する遺伝子も同定され、他の魚種では性決定遺伝子として働くことも報告されはじめている (4, 5)。
生殖幹細胞の存在は生殖細胞の性決定の問題(卵になるか精子になるか)も提起する。なぜなら、生殖幹細胞の性は、たとえそれが卵巣にあろうとも精巣にあろうとも決まっていないからである。そして体細胞の性とは独立して働きうる、生殖細胞の性決定遺伝子foxl3が見出された (6)。実際foxl3をメスの生殖細胞で働かせないと卵巣中で機能的な精子が大量に作られる。生殖細胞は自身の性を自ら決めうる機構も保持していたのである。またfoxl3 は卵へと分化させるための分子機構を積極的に駆動させることが判明し、生殖幹細胞からメス型生殖細胞、そして卵になるとはどういうことか、遺伝子の言葉で語られ始めようとしている (7)。
一連の研究は生殖細胞が秘めた能動性を持つことを示しているだろう。そこには体細胞を外部センサーとして利用し、身体の性を制御して次世代を紡ぐ生殖細胞の戦略が垣間見える。身体をメス化して自らも卵になろうとする生殖細胞は、遺伝的にせよ環境要因にせよ、体細胞によって感知された状況でメス化が抑制されて精子形成を行う。すなわち、性決定遺伝子とは独立して性を完結できるコアメカニズムのことである。そしてこのメカニズムは、進化という時間単位で次々と変わっていく性決定遺伝子の容易な交代を担保する基盤になっているのではないか、とも考察される (8)。
ならば、メダカの性は遺伝的に決まる必要もないではないか。メダカには環境変化を代謝変化として感知し、性を決める仕組みを保持していることも見えはじめている (9)

(1) Kurokawa et al PNAS 2007, (2) Nakamura et al Science 2010, (3) Nakamura et al Development 2012, (4) Morinaga et al PNAS 2007, (5) Tanaka BioEssays 2016, (6) Nishimura et al Science 2015, (7) Kikuchi et al PNAS 2020, (8) Tanaka Curr Top Dev Biol 2019, (9) Sakae et al Biol Open 2020