恐竜学名大辞典 書評
松田 眞由美 著 北隆館 出版 令和5年5月24日発行 496頁 本体10,000円(税別)
昭和40(1965)年生まれという「昭和ど真ん中」世代の人間であるわたしにとって、幼少期の最大の楽しみは空想特撮もののテレビ番組を見ることや関連本を読むことであった。ウルトラマンやウルトラセブン、そしてゴジラやガメラといった巨大ヒーローやモンスターたちが世のため人のために活躍する姿(シュワッチ)、そして世界はたまた地球を破壊せんと暗躍する姿(ギャオー)に寝ても覚めても心躍らせていたのである。そんな空想特撮世界にのめり込んでいた幼少期に、同じくわたしが深く心奪われたのが「恐竜」だった。その理由は二つあった。1つは、その姿かたちがゴジラをはじめとする空想特撮モンスターたちの原型であったこと、もう1つは恐竜が空想上の生き物ではなく、遠い過去に地球上で確かに存在し、一時代を築いていた生物史上の「大先輩」であり、そして今はなき絶滅した存在であるということだった。いま現在のわたしなりに精いっぱいの表現で言うなら、恐竜ってなんてヒストリックでサイエンティフィックで、そしてなんてロマンチックな存在なんだろうと思ったのである。幼少期に出会った、恐竜にまつわるメディアで印象に残っているのはテレビ番組「怪獣王子」(1967~1968年・フジテレビ)と映画「ジュラシックパーク」(1990年・ユニバーサルピクチャーズ、もう幼少期ではないが)、そして本であれば「恐竜のひみつ」(1971年・学研プラス)であった。特に「恐竜のひみつ」は、「からだのひみつ」と「地球のひみつ」と合わせてのシリーズ3点セットで何度繰り返し本を開き、ああでもないこうでもないと考えや思いを巡らせたことか・・恐竜ってなんかイカしてるよな・・とついつい想いにふけってしまう。どうでもいい個人的な前置きが長くなってしまった。
さて、ここにご紹介する「恐竜学名大辞典」(以下、本書)は、2017年出版「語源が分かる恐竜学名辞典」、そして2021年出版「The Dictionary of the Etymology of Dinosaur Names」に続く、松田眞由美氏の著作による恐竜の学名にまつわる書の第3弾である。タイトルからも窺えるとおり、松田氏による恐竜の学名調査研究の集大成、総ページ数490超の大著である。本書は監修者(小林快次氏、藤原慎一氏)によるまえがきに記されているように、恐竜の学名にまつわる語源・語義に加えて、その命名の歴史までを丁寧かつ網羅的に紐解いているという点で日本初の画期的なものとなっている。その構成は次の通りである。前出のまえがきに続く目次を見ると、本書が大きく二つのまとまりで構成されていることがわかる。1つはLexicon(8~53ページ)すなわち恐竜類などの属名に使われている用語のリスト、もう1つはExplanation(54~467ページ)すなわち恐竜の学名がアルファベット表記順に記された本書の主要コンテンツをなすまとまりである。これら2大セクションの手前には、凡例(Explanation中で示される恐竜の学名その他の情報の読み解き方)と系統図と分類(有羊膜類を起点にして、地球上に過去発生した動物、すなわち恐竜とその他の動物が歴史上のどの時点で発生し、どのように系統分類上の枝分かれを辿りつつ絶滅もしくは現世にまで存続しているのかを可視化した図)が並び示され、後ろの方には、Indexすなわち属名(カタカナ⇒欧文)早見表(一般に馴染みある恐竜の名前でのページ繰り、たとえばティラノサウルスはExplanation中のどこに記載されているのかを探すのに役立つ)と種小名索引(こちらはExplanation中の掲載学名を種小名から逆引きすることに役立つ)が収められている。これらは前段であれこれと恐竜好きであることを標榜しておきながら、その学術的見地からの専門知識にはまったくの素人であるわたしにとってありがたい、本書に親しむためにはなくてはならない補足情報となっている。
ここでこの拙文の読者のみなさんに質問がある。みなさんであれば、本書でまず最初にどの恐竜の学名を探したい、見てみたいと思うだろうか?わたしはもちろんティラノサウルス!ということで、さっそくやってみた。属名早見表でアルファベット名を見つけ出し(476ページ)、Tyrannosaurusという綴りを頼りにExplanationを探ったところ、433ページにその記述が見つかった。斜体太字で示された学名はTyrannosaurus rex、そのすぐ次に「>同学名 Osborn、 1905(以下省略)」と記されていた。これは西暦1905年にOsborn氏らによってティラノサウルスのタイプ標本(その動物の特徴・形質を保証する標本のこと)をもとにした学名の決定と記述がなされたこと(表記冒頭の>が目印)を意味している。さらに同じ欄には=の記号に続いて別の学名、人名、西暦年などの情報が5つ並んで記されていた。これは異なるタイプ標本に対して付けられた異なる5つの名前が、研究者によって互いに同じ種類であると見なされたことで、互いにTyrannosaurus rexと異名の間柄(主観異名という)にあることを示している。これを見ると、1892年に見つかった標本に基づいた名前Manospondylus gigasが、ティラノサウルスに付けられた最初の学名であることがわかる。このようにティラノサウルスの学名には複数のものがあることや、それぞれの学名がもつ意味(Tyrannosaurus rexは暴君;Manospondylus gigasは巨人、など)が示されている。本書の基本コンテンツにはさらに、読み方、属名、種小名、分類、その他の種、といった小項目が並び、最後に松田氏によるコメント「Tyrannosaurus属は、Tyrannosaurus rex一種のみが有効名として認められている。」がついていた。このような内容と項目立てで、実に約1500種に及ぶ恐竜の学名を網羅したのが本書なのである。このような膨大な量の恐竜の学名に関する情報を整理統合した本は過去に存在しなかった。そのため今後は本書が恐竜、そして恐竜の学名に興味関心をもつ一般の人から教育研究関係者に幅広く利活用される、かけがえのない一冊となるであろうと期待できる。
わたしはこれまでに研究活動上の必要性から、生物学・生命科学に関係した専門的内容をもつ辞典に接し、そのいくつかは購入・入手して自身の研究室の書棚に並べている。生物学辞典、生化学辞典、理化学辞典、分子細胞生物学辞典、動物学ラテン語辞典、そして生物学名辞典・・。これらはもう入手してから10数年以上を経たものばかりである。仕事上これらはさすがに積読(つんどく)という状態にはなっていない。しかしながら、昨今のインターネット上での関係情報検索の利便性や網羅性の進歩は凄まじいものがあると感じており、その恩恵もあってなかなかこれらの書物を手に取ってじっくり時間を過ごすということはなくなっている。今回ここに紹介させていただている恐竜学名大辞典は、わたし個人にとっては実にひさしぶりに実際に手にとってその中身をじっくり読んでみようと心から思わせてくれる、正真正銘の生物学・生命科学の「恐竜の学名」を専門に扱った画期的な大辞典である。本書に収められた膨大な情報を丹念に丁寧に整理整頓し、ソリッドで圧倒的な質感をもちつつも、本書の随所に散りばめられたコラムが象徴するかのように、とても穏やかで楽しく安らかな気持ちにさせられるように感じる本書を目の当たりにして、松田氏のいったいどのような思いや情熱、そして類い稀なるものであろう知性と好奇心、調査研究力の炸裂が本書のような作品の仕上がりを可能とするのかを知りたい、という問いが新たに生まれたのであった。松田氏が本書の最後に記した「あとがき」から一文を次に引用させていただき、この素晴らしいお仕事にただひたすらに心からの感謝と祝意、そして拍手喝采の意を表したい。
・・・恐竜学の入り口付近をうろちょろしているばかりではなく、論文を通して学問としての恐竜学の世界を覗くことになったわけですが、いまだに恐竜学の本質は見えてこないというのが実感です。・・・
ああ、松田氏は本書のような大著をものにしてなお、恐竜学の深い探究の途上におられるのだ、と勝手ながら少し納得させていただいた気になった。
最後に、松田氏をはじめとする本書の著者・編者の皆様に、そして恐竜が好きなだけのわたしに本書の書評を書く機会を与えてくださった勇気ある、そしてしっかりとしたサポートをくださった日本動物学会事務局の関係諸氏に、こころからの深い感謝の気持ちを申し上げたい。ありがとうございました。
2023年7月
KENICHI、ことイチ恐竜ファン(京都産業大学 生命科学部 産業生命科学科)
佐藤 賢一