公益社団法人 日本動物学会理事会は、2017年6月2日(金)理事会を開催し、学会賞等選考委員会の推薦候補者を基に、各賞受賞者の審議行いました。その結果、平成29年度日本動物学会の各賞を下記のように決定しました。授賞式、また学会賞、奨励賞受賞者講演は、9月22日富山県民会館にて行われます。
公益社団法人 日本動物学会
会長 岡 良隆
日本動物学会奨励賞
森山 実(もりやま みのる)
国立研究開発法人 産業技術総合研究所 生物プロセス研究部門、特別研究員
『昆虫類の環境適応に関する生態、生理、生化学的研究』
受賞理由
森山実会員は多様な手法を駆使して昆虫類の環境に対する適応戦略について包括的な解明を目指す研究を展開している。大学院ではセミ類の孵化戦略について生理生態学的研究から、都市部におけるクマゼミの占有化の仕組みを明らかにした。この成果はすでに様々なメディアにも取り上げられている。その後、カメムシ類やゾウムシ類などを対象に微生物との共生による栄養環境への適応機構について生化学的・分子生物学的アプローチによる解明を進めている。フィールド調査から分子・ゲノムまで広範なアプローチで研究を推進し、これからの動物学を牽引する研究者として活躍することが期待されることから、森山会員に日本動物学会奨励賞を授与することを決定しました。
受賞者要旨
昆虫は高度に多様化した分類群であり、気候や食物、天敵などさまざまな環境要素に対して個々の種が独自に進化させた環境適応戦略は実に多彩で精巧にかたちづくられている。動物のもつ高度な環境適応の工夫を実際に目にし、手にとり、自らの実験系によってその謎を解き明かしたいと考えていた私にとって昆虫は格好の研究対象であった。
大阪市立大学の研究室で学生として最初に取り組んだテーマはセミの環境適応であった。当時すでに西日本では都市部を中心にクマゼミが増加しており、特に大阪市内ではクマゼミ一色となっていた。夏の風物詩であるセミ相の変化は「温暖化の影響?」と毎年メディアで取り上げられ、その原因を究明することは社会的にも関心の高い課題であった。まず、セミ類の低温耐性の比較からクマゼミは十分な低温耐性を備えていることを明らかにし、温暖化がクマゼミの越冬生存率を改善するという従来予想されていた普遍的な経路が原因ではないことを示した。その上で、都市化にともなう気温上昇はクマゼミの孵化時期を早め、孵化のタイミングを梅雨に間に合うように変化させたことが、雨に反応して孵化するしくみをもつクマゼミの孵化率を顕著に改善させたことを野外観察、操作実験、モデル推定を組み合わせて証明した。さらに、クマゼミの幼虫が地面にもぐる能力が他のセミに比べ突出して高いことを発見し、土壌が硬い都市部において優占的に生息していることを示した。以上のように、近年の都市化にともなうクマゼミの優占化は、セミの環境適応戦略に沿ったユニークな作用機序によって起こっていることを突き止めた。
産業技術総合研究所に移ってからは、体内に宿す共生微生物の働きを介して昆虫が新たな環境適応能を獲得するしくみに魅せられ、その分子・生化学機構や進化機構を解明する課題に取り組んだ。中でも餌環境への適応に関して昆虫と共生微生物の間で取り交わされる栄養相互作用に注目し研究を進めた結果、トコジラミが吸血性の害虫であり、マルカメムシがダイズの害虫であり、クロカタゾウムシがその名の通り硬い昆虫であるという昆虫固有の性質が共生微生物の働きを介して実現されていることを証明し、両者の協調的な環境適応機構の進化過程を解き明かす成果をあげた。
最近は、季節変動を中心とした時空間的な環境の変化に対する昆虫類の高度な適応機構にも研究対象を広げている。例えば、冬繁殖という特殊な季節性をもつクヌギカメムシが生産するゼリー状の卵保護物質の成分・機能解明や、越冬休眠にともなうチャバネアオカメムシの可逆的な体色変化の分子・生化学機構の解明などを進めている。
私は幸運にも、これまで生態から生理、分子、生化学まで多分野を横断する経験に恵まれてきた。それによって、分野の専門性に縛られることなく興味深い生命現象の本質に純粋に向き合える機会が与えられているように感じる。今後、多角的な研究アプローチをさらに飛躍させ、多様性の宝庫である昆虫類が魅せる環境適応の巧妙なからくりを解き明かす研究を進めていきたい。
越智陽城(おち はるき)
山形大学医学部、メディカルサイエンス推進研究所、准教授
『脊椎動物の組織・器官形成における遺伝子発現調節メカニズムとその進化の研究』
受賞理由
越智陽城会員は、水晶体における転写因子Mafの翻訳制御から研究を始め、Brachyuryによる筋細胞特異的遺伝子発現のしくみの研究を行った。近年は、アフリカツメガエルとネッタイツメガエルのゲノム比較により、ゲノム倍化にともなうシス調節エレメントの進化の研究を展開している。このツメガエル2種は1800万年前に分岐したと考えられているが、アフリカツメガエルでのみ染色体の倍加が起こっている。ツメガエルの高効率なトランスジェニックシステムを利用し、Pax2とPax8遺伝子では重複遺伝子ペアの発現の多様化が、発現抑制配列の獲得によってもたらされていることを明らかにした。また、hand1遺伝子に関して、プロモーター配列の1塩基置換により、倍加した遺伝子の片方で特定の組織における発現低下が起こっているという、発現調節領域進化の実体を垣間見ることができた。さらに、新しいプロジェクトとして再生シグナルに応答して発現が増加する遺伝子の再生シグナル応答エンハンサーを同定したうえで、それに関わる転写因子の同定も進めている。これらは、興味深い現象に着目し遺伝子の発現制御のしくみを知るという意味で重要な業績である。ツメガエルのトランスジェニックシステムを有効に利用し分子レベルでの制御を明らかにしてきた越智会員の研究は高く評価することができ、将来の発展も期待され、越智会員に日本動物学会奨励賞を授与することを決定しました。
受賞者要旨
この度は、平成29年度日本動物学会奨励賞を賜り感謝申し上げます。
私は、遺伝子をノックアウトしたマウスを作ると組織や器官形成に異常が生じる、あるいはFGFやShhなどの分泌タンパク質を染み込ませたビーズを胚に移植すると形態が大きく変わるという、分子発生生物学の研究が盛り上がっているころに、この世界に足を踏み入れました。その当時、私は発生生物学のなかでも、機械的に遺伝子の発現がオン・オフと切り替わり組織ができることが面白いと思い、ニワトリのクリスタリン遺伝子の発現調節機構の研究されていた、奈良先端科学技術大学院大学の安田國雄先生の指導のもと、遺伝子発現調節と発生の研究を始めました。安田研での水晶体特異的な転写因子L-Mafの活性化メカニズムの研究を皮切りに、米国オレゴン大学・Monte Westerfield研でのゼブラフィッシュを使った研究や奈良先端大・荻野研でのツメガエルを使った研究を経て、現在は、山形大学で研究室を主宰する立場として、組織・器官の形成と再生における発現調節メカニズムの働きや、その進化プロセスの研究を続けております。その中で、シス調節配列の機能の変遷を実験的に解析した研究について、以下にその概要を紹介します。
脊椎動物は、その進化の過程で遺伝子とその発現調節配列が倍増する「全ゲノム重複」を2回、硬骨魚類ではさらに1ないし2回、起こしたと考えられています。これにより全ての遺伝子が最小でも2度にわたり倍増したため、ゲノムには基本的に同じ遺伝子が4つずつ存在することになります。重複で余分に増えた遺伝子は、変異を起こして機能を失う、新しい機能を獲得する、重複した遺伝子の両方がゲノムに残り発現が多様化するなど、遺伝子そのものの進化については詳細な研究が多数なされてきました。一方、同じく倍増したはずの調節配列については、それらがどのように変化してきたのかを、配列の比較から検証する研究はなされているものの、その機能を個体レベルで実証する研究はあまりなされていません。この問題に対して私達は、重複遺伝子の発現多様化について、2倍体のネッタイ・ツメガエルや4倍体のアフリカ・ツメガエルを実験モデルシステムとして用いて、発現調整領域のレポーター・トランスジェニック解析から、遺伝子の発現の多様化は、遺伝子の発現をオンにするエンハンサーの獲得だけでなく、発現をオフにするサイレンサーの獲得によっても多様化することや(Ochi et. al., Nat. Commun, 2012)、ゲノムの倍増からあまり時間を経ていない場合でも、1塩基置換で十分に重複した遺伝子の発現を多様化させることを(Session et. al., Nature, 2016)(Ochi et. al., Dev Biol. 2017)、個体レベルで示してきました。
ゲノム編集などの新しい技術が発展し、これまでの発現調節領域の一部を切り出して機能を解析する研究から、染色体レベルでその働きを改変できるようになりつつあります。現在は、それらの新しい技術を取り入れながら、組織・器官の形成や再生を支配する遺伝子発現調節メカニズムやその進化プロセスの研究を発展させるため、日々、実験に取り組んでいます。
謝辞
私の研究スタイルや哲学は、奈良先端科学技術大学院大学の分子発生生物学講座の学生であった時に養われたものです。特に研究の基本についてご指導を賜りました奈良先端科学技術大学大学院名誉教授安田國雄先生ならびに広島大学両生類研究センター・センター長荻野肇先生に深く感謝申し上げます。また、分子発生生物学講座において、多大なご指導をいただきました、京都大学理学部教授高橋淑子先生、神戸大学理学部教授井上邦夫先生、神戸大学理学部准教授影山裕二先生に感謝申し上げます。また、ゼブラフィッシュを使った発生遺伝学的な研究を指導くださいましたMonte Westerfield教授に感謝申し上げます。さらに、本研究に参加し支えてくれた、奈良先端科学技術大学院大学発生ゲノミクス研究グループならびに山形大学医学部メディカルサイエンス推進研究所越智研究室の、院生、研究補助員諸氏に感謝致します。最後に、本奨励賞にご推薦下さいました山形大学理学部教授渡邉明彦先生ならびに日本動物学会の諸先生方に厚く御礼申し上げます。
斎藤 茂(さいとう しげる)
岡崎統合バイオサイエンスセンター、生理学研究所、バイオセンシング研究領域、細胞生理研究部門、助教
『温度感覚の種間多様性とその分子基盤の解明』
受賞理由
齋藤茂会員は、温度センサー分子である温度感受性TRPチャネルに注目した研究を一貫して行ってきた。ネッタイツメガエルのTRPV3チャネルが哺乳類とは逆向きの温度感受性を持つことを発見した研究を契機に、広範な動物種を用いたTRPチャネルの機能解析および分子系統解析を進め、脊椎動物TRPチャネルの生理学的多様性を生み出す分子進化に関する仮説を提唱するに至った。最近では、至適温度の異なる2種のツメガエル用い、TRPチャネルの温度感受性の種間差が個体レベルでの至適温度の違いに密接に関係していることを明らかにする比較生理生態学的な研究も展開している。動物学にとって不可欠な種間比較を主軸とし、TRPチャネルの分子レベル変化と温度感受性多様化との結びつきを明確に示した齋藤会員の研究は高く評価され、環境適応能力獲得の分子基盤というさらに一般的な研究への発展が期待できることから、齋藤会員に日本動物学会奨励賞を授与することを決定しました。
受賞者要旨
温度は生存をも左右し得る環境要因であり、動物は外界の温度や体温を正確に感知する生理機構「温度感覚」を発達させてきた。それぞれの動物種が異なる温度条件の環境に適応する過程で、例えば、暑い環境に生息する種は、冷涼な環境に生息する種よりも「暑さ」を感じにくくなったと想像できる。動物の温度を感じる仕組みが進化の過程でどれくらい変わってきたのか、また、そういった変化はそれぞれの動物種の環境適応とどの様に関連してきたのか、といったことに興味を感じている。そこで、温度受容機構のセンサー分子として働く温度感受性TRPチャネルを様々な動物種から単離し、分子進化学的および電気生理学的なアプローチを併用して比較してきた。本稿では、これまで得られた主な成果を紹介する。
- 温度感受性TRPチャネルの機能的な多様性およびその進化過程
温度感受性TRPチャネルは感覚神経などに発現するセンサー分子であり、温度刺激により活性化される。これらのチャネルは温度以外の物理的な刺激、また、様々な化学物質よっても活性化されるマルチモーダルな特性を備えている。中でもTRPA1およびTRPV1は痛みとして認識される温度刺激や刺激性化学物質の受容に関わる。この様な類似した生理機構を担う分子の進化動態を調べるために脊椎動物種間の比較解析を行った。両生類(ネッタイツメガエル)、鳥類(ニワトリ)、爬虫類(グリーンアノールトカゲ)のTRPA1は、哺乳類オーソログと同様に複数の刺激性化学物質により活性化された(Saito et al. 2012, 2014)。ところが、温度応答性は哺乳類のものと大きく異なっていた。哺乳類TRPA1は低温によって活性化されると報告されているが、新規に解析した3種のTRPA1は低温ではなく、高温刺激により活性化された。一方、哺乳類、鳥類、魚類において高温域の受容に関わるTRPV1はネッタイツメガエルでも類似した特性を持っていた(Ohkita and Saito et al. 2012)。
先行研究により、TRPA1は動物の進化系統の初期段階で出現し、高温と化学物質の感受性を獲得したと推定されている。一方で、TRPV1は脊椎動物種の進化系統で新たに生じた遺伝子であることが我々の分子系統解析により示されている(Saito et al. 2006, 2011)。TRPV1が脊椎動物の祖先種で高温センサーとして獲得されたことにより、TRPA1の高温感受性に対する進化的な制約が緩み、温度感受性が種間で変化する要因となったと考えられる(Saito and Tominaga 2015)。
- 温度感受性TRPチャネルの機能的な種間差を生み出した分子基盤
ニワトリTRPA1の機能解析の過程で、このチャネルが鳥類の忌避剤であるmethyl anthranilate (MA) によって活性化されることを見出し、MAによる鳥類の忌避行動がこのチャネルを介した現象であることを初めて明らかにした(Saito et al. 2014)。脊椎動物5種のTRPA1にMAを作用させたところ、その活性が種間で異なっていた。TRPA1のアミノ酸置換パターン解析および突然変異体チャネルのスクリーニングにより、MAによる活性化に関与する3つのアミノ酸残基を同定した。更に、TRPV1のカプサイシンに対する感受性の種間差を生み出したアミノ酸置換(Ohkita and Saito et al. 2012; Saito et al. 2016)、また、鎮痛剤としての利用が期待されるTRPA1阻害剤の作用に関わるアミノ酸残基も同定し(Gupta et al. 2016)、種間多様性を利用した温度感受性TRPチャネルの活性化および抑制の分子基盤の特定も進めてきた。
- 温度適応に関連したTRPチャネルの機能進化
環境適応に関わる温度感覚の進化的変化およびその分子基盤を解明するために、至適温度が異なる2種のツメガエルの比較解析を行った。ネッタイツメガエルとアフリカツメガエルは分布域が異なり、後者のほうがより冷涼な環境に適応している。高温刺激に対する応答性を2種間で比較したところ、行動および感覚神経レベルでアフリカツメガエルのほうが高温に対する感受性が高いことが分かった。次に、高温センサーであるTRPA1とTRPV1のチャネル特性を比較した。アフリカツメガエルTRPA1はネッタイツメガエルのものより高温刺激に対する活性が高く、更に、より低い温度から活性化されることが分かった。また、TRPV1においても温度応答特性が2種間で異なり、更に、3つのアミノ酸置換がこのチャネルの高温応答性の種差に関与することを示した(Saito et al. 2016; Saito and Tominaga 2017)。温度受容機構は末梢神経から中枢神経系に亘り無数のタンパク質が関与する複雑なシステムであるが、末梢のセンサー分子の単純な機能変化が温度感覚やそれに基づいた個体レベルの行動応答の進化的変化を生み出してきたことが示唆された。
これまでの研究で、温度感受性TRPチャネルの機能の変化により温度感覚や化学感覚がダイナミックに変化してきたことを脊椎動物種間の比較解析を通して明らかにしてきた。しかし、遠縁な種の間では生態的、生理的な特性が著しく異なることから、温度センサー分子の変化と環境適応の関連性を見出すことが困難であった。そこで、現在は温度に関連した特性が異なる近縁種間または種内の比較解析に力を入れている。この様な解析を通して温度感覚の進化機構をより詳細に解明し、更には分子レベルの進化的変化と種特異的な生態的特性を結びつける研究を展開していきたい。