平成29年度日本動物学会学会賞の選考結果・受賞者要旨

公益社団法人 日本動物学会理事会は、2018年6月2日(金)理事会を開催し、学会賞等選考委員会の推薦候補者を基に、各賞受賞者の審議行いました。その結果、平成29年度日本動物学会の各賞を下記のように決定しました。授賞式、また学会賞、奨励賞受賞者講演は、9月22日富山県民会館にて行われます。

公益社団法人 日本動物学会
会長 岡 良隆

日本動物学会賞

伊藤悦朗(いとう えつろう)
早稲田大学、教育・総合科学学術院、教授
『軟体動物腹足類の学習記憶機構の解明』

受賞理由

 伊藤悦朗氏は長年にわたり、軟体動物腹足類の学習記憶機構を研究してきました。カンデル以来の伝統があるこの分野で、伊藤氏は初めてモノアラガイを対象に選び、その味覚嫌悪学習という行動を使って、きわめてユニークな研究を進めてきました。最近の大きな成果としては、味覚嫌悪学習における長期記憶の形成にインスリン様物質が決定的な役割を果たすことを明らかにしたことが挙げられます。記憶とインスリン様物質の関係についての一連の研究が順調に進展した背景には、1999年に日本動物学会奨励賞を受賞されたCerebral Giant Cell(CGC)というニューロンの発見に始まる、伊藤氏一流の膨大かつ精緻な定量的研究があります。伊藤氏は、単一のCGCニューロンでCREB遺伝子や遺伝子産物を定量分析する方法を装置の開発から手がけ、それを自身の研究に見事に生かし、日本動物学会賞を授与するにふさわしい功績をあげました。 

受賞者要旨

 私が軟体動物腹足類を実験動物として利用する最初のきっかけは、アメリカNIHのDaniel Alkon先生の研究室にVisiting Fellowとして留学し、ウミウシ(Hermissenda)の学習記憶研究に従事するチャンスを頂いた時であった。そして、20代後半・30代前半の若い時期を、Woods HoleにあるMarine Biological Laboratoryでの非常に濃密な研究、北米神経科学学会(SfN)での激しいやり取りなど、大変刺激的な時空間に身を置けたことが、本当に幸運だったと思う(Itoet al., 1994, J. Neurochem.)。

1993年(平成5年)に北海道大学理学部に職を得て帰国後、さてどの実験動物を使おうかと悩んでいたところ、所属講座の教授であった浦野明央先生からモノアラガイ(Lymnaea)をご紹介頂いた。Lymnaea stagnalisは英語名でgreat pond snail、和名でヨーロッパモノアラガイと呼ばれる。モノアラガイの最大の特徴は、変態が卵の中で完了しており、すなわち孵化した時点で、成体のミニチュア版になっていることである。アメフラシやウミウシは孵化後にも変態をするので飼育がかなり厄介であり、成体を採集するところから実験を始めなければならない。しかしモノアラガイの場合は、自らの実験室でライフサイクルを回すことが可能であり、一年中研究ができる(モノアラガイの研究成果を初めてZool. Sci.で発表させて頂いたときの論文:Kojimaet al., 1996, Zool. Sci.)。

モノアラガイは、嗜好性のあるショ糖に続いて忌避性の塩化カリウムまたは電気ショックを提示すると、ショ糖によって誘発されるはずの咀嚼(そしゃく)運動を起こさなくなる。われわれは、これを一種の「味覚嫌悪学習」だと考えた。モノアラガイの味覚嫌悪学習は一度覚えたら1か月以上の長きにわたり記憶する「長期記憶」である。その後、この味覚嫌悪学習に関する一連の生理学的・組織学的研究を通じて、1999年(平成11年)に日本動物学会「奨励賞」を頂戴するに至った(奨励賞を頂いた時のreview論文:Itoet al., 1999, Zool. Sci.)。

 その後、われわれは長期記憶形成後にどの遺伝子が発現してくるのかを明らかにするために、モノアラガイのDNAチップを自ら作製し研究を重ねた。このモノアラガイのDNAチップの作製については、当時の北海道大学には安住薫先生がおられ、安住先生と共同研究させて頂いたことが、大きく影響している。当時を思い起こすと「網羅的に調べる」ことが流行であった。その研究成果として、学習後にインスリン様ペプチド(molluscan insulin-related peptide:MIP)の遺伝子発現が脳内で亢進していることを明らかにできた。しかし正直、その当時は、インスリン様ペプチドの発現亢進の生物学的意味は何なのかが、理解できないでいた(Azamiet al., 2006, J. Neurosci. Res.)。

 2006年(平成18年)に、私は北海道大学から徳島文理大学香川薬学部に異動し、その異動後に単離した脳にインスリン様ペプチドを直接投与することで、咀嚼運動に係る神経回路への影響を調べた。モノアラガイのインスリン様ペプチド、またはほ乳類のインスリンを投与したところ、咀嚼運動に係る特定の神経回路で「長期増強」様の反応が確認できた。長期増強は一般的には学習記憶の神経基盤となると考えられており、すなわち体内の糖濃度調節などに関わるインスリン様ペプチドが、モノアラガイの脳内の味覚嫌悪学習機構にも重要なはたらきをすることが分かった。さらには、インスリン受容体の結合部位の構造が、モノアラガイとほ乳類とで相同であることに着目し、その結合部位をエピトープとするほ乳類の抗体を注入したところ、この長期増強様の応答は消去された。また、抗体を個体に注入すると、味覚嫌悪学習の長期記憶形成も阻害された。このように味覚嫌悪学習機構におけるインスリン様ペプチドの必要十分条件が整った(Murakamiet al., 2013, J. Neurosci.)。

 一方でわれわれは、軽度な飢餓状態におかれたモノアラガイは味覚嫌悪学習の成績が良いが、強度な飢餓状態の場合は学習記憶が成立しないことを、経験的に知っていた。そこで作業仮説として、強度な飢餓状態ではインスリン様ペプチド濃度が低くなっていると予想した。実際に、強度な飢餓状態のモノアラガイにインスリン様ペプチドを注入して濃度を上昇させてみたところ、学習記憶の成績が改善されることが分った。このようにインスリン様ペプチドが学習記憶機構の鍵を握っていることがはっきりした。さらに、強度な飢餓状態の場合におかれたモノアラガイは、本当に味覚嫌悪学習を習得していないのか、という問題に迫った。そこで、いろいろな条件を振ってみたところ、強度な飢餓状態のモノアラガイに味覚嫌悪学習を施し、その後しばらく飽食状態にしてから、再度、飢餓状態にすると、驚くべきことに味覚嫌悪学習が成立していることが明らかとなった。味覚嫌悪学習は、簡単に述べると「罰が与えられることで好きな物を食べられなくなる」学習であり、すなわち、学習した時点で強度に腹が減っていると、仮に学習していても「背に腹は代えられず」食べてはいけない物を食べてしまう。そして、そのあとしばらくしてから再び飢餓になると、味覚嫌悪学習を思い出して、食べてはいけない物を食べないようになるわけだ。さらには、この再度の飢餓の代わりにインスリン様ペプチドを与えることで記憶の想起が可能であった。つまり、動物は学習記憶機構を一つの定型的な形で利用しているのではなく、個体が上手に生存するために、柔軟に利用していることが分った(Itoet al., 2015, J. Exp. Biol.)。

 2016年(平成28年)に、今度は早稲田大学の教育学部理学科生物学専修に異動し、新たな研究を展開し始めた。現時点で、学習装置の完全自動化に成功し、飢餓状態と学習成績、さらにはモノアミンの濃度変化との関連も明らかにできた(Aonumaet al., 2017, Neurobiol. Learn. Mem.)。また学習能力の地域差(国別の差)についても研究を遂行している。

今回の学会賞受賞は、アメリカNIH時代、北海道大学時代、徳島文理大学時代そして現在の早稲田大学における、メンター、同僚の研究者の方々、院生・学生の皆さん、ポスドクの皆さん、技術補佐員の皆さん、秘書さん、そして多数の国内外の共同研究者からのご指導・ご協力によるものだと深く感謝している。それに加えて、100年以上も続くモノアラガイを用いた生物学研究の歴史が、我々の研究を後押ししてくれたことは間違いないと痛感している。例えばインスリン様ペプチド(MIP)は、無脊椎動物にもインスリン様ペプチドが存在することが初めて証明された時に見つかったものであり、見つけたのは先述のアムステルダム自由大学の研究者であった。つまり研究は、限りなく受け継がれていくものだと強く感じており、先人たちに感謝する次第である。

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