無脊椎動物の分類学的研究

 

北海道大学大学院理学研究科生物科学専攻
馬渡峻輔

 

はじめに
 私は,1969年に北海道大学大学院修士課程に進学して以来,30年以上に渡って無脊椎動物の種分類学一筋で押し通してきました.副業としての生態や生理関係の論文数編を除けば,自然の中から種を探し出す仕事を延々と続けてきたわけです.私の父はコケムシ動物の分類学研究者だったため,コケムシという動物と分類学について子供の時からある程度の知識を持っていました.このことが大学院入学時に深く考えもせずに分類学講座をえらび,コケムシの分類学をはじめた理由です.このたび栄誉ある動物学会賞をいただいて,少々表現は流行遅れですが,あのように決心した若い頃の「自分をほめてあげたい」気持ちです(?).

コケムシ類の研究
 大学院では,山田真弓教授の下,北海道産櫛口類コケムシ1科2属4種(内新種2種)の記載論文を2編に分けて書いたあと,ヒラハコケムシMembranipora serrilamella Osburn,1953の生活史の研究を始めました.北海道沿岸で盛んになりつつあったコンブの養殖にこの種が被害を与えていたのがきっかけです.これは,当時助手だった故伊藤立則氏の協力を得て,卵割様式から群体の季節消長にまでおよぶ広範囲で詳細な研究へと発展しました.博士論文の主要部を占めることになったその成果は,一コケムシ種の暮らしぶりをトータルに明らかにしたという意味で,当時の言葉を借りれば典型的な種生物学的研究としてコケムシ学の教科書にも引用されました.大学院卒業後は日本大学医学部に職を得,日本産無嚢軟壁類コケムシの研究を父と一緒に始めました.その成果は合わせて200ページのモノグラフ6編に結実し,6科33属94種(内新種3種)の日本産種を明らかにしました.続いて管口類9科14属31種(内新種4種)を記載しました.これらは,上述の櫛口類の論文とともに,日本の業績評価システムでは低く評価される「紀要」に掲載されているのですが,コケムシ類分類学の世界では各分類群における最も重要な出版物の一つに位置づけられています.日大から北大へ戻ってからも日本産コケムシ類の研究を続けてそこそこの数の記載論文を出版し,日本の苔虫相の解明にある程度役割を果たしました.以上の成果は,図鑑あるいは分類・同定の手引き書にも引用され,一般に利用されています.また,各国の研究者との共同研究も積極的に進めました(フランス語の論文も2編あるんですよ).いくつかの分類群では,世界中の標本を用いた比較研究を遂行し,3属9種(内新属2新種7)を含むEurystomella科,3種を含むDoryporella属,そして,10種(内新種8)を含むMicroporella属のrevisionを完成させました.

無脊椎動物の研究
 日大から北大へ戻って大学院生を研究指導するようになりました.入学してくる院生をつかまえては「コケムシをやらない?」と勧誘しました.誘いに乗ってきた窪田清志君と忍路湾産コケムシ類を研究し,池澤広美さんとCelleporina属の論文を2編書き,諏訪剛君と上述のMicroporella属のrevisionを完成させました.しかし,1990年以降はことごとく勧誘に失敗します.動物の分類を志す若者たちは「動く物」に興味があって,コケムシや海綿など固着動物は人気薄なのです.かといって,当人にとって興味のない動物群を無理やり押しつけても結果が思わしくないことは承知していました.そこで,大学院生が選ぶ動物群をそのまま認めることにしました.私は研究計画と実際の研究の進め方,そして論文書きに関わり,データは主に院生が取るという指導スタイルを採用し,それまでコケムシだけだった研究対象は飛躍的に広がりました.動物はきわめて多様であり,それ故に動物群別学会が存在し,たとえば甲殻類の専門家は多毛類について全く関心を示さないのが普通です.ところが私は,大学院生を指導し,あるいは共同研究を進めることで様々な動物群に接することができました.たとえば,紐形動物ヒモムシ類6属6種(内新属1新種2),刺胞動物ヒドロソア類1属3種,環形動物貧毛綱7属13種(内新属1新種4),同多毛綱イトゴカイ科2属2種(内新種2)および同綱サシバゴカイ科3属9種(内新種3),節足動物甲殻綱端脚目ヨコエビ類1属3種(内新種1),そして同綱等脚目ミズムシ類7属19種(内新種12)等々で記載論文を,節足動物多足綱では種内変異の論文をものにしております.紐形動物から節足動物,そしてコケムシ動物に至る5つもの動物門にまたがって記載論文を発表している分類学研究者は世界広しといえども私以外には見あたりません.一緒に論文を書いてこのようなアイデンティティを私に付与してくれた石丸信一,大高明史,並河洋,田辺力,栗林恵子,高島義和,矢部薫,加藤哲哉,柁原宏,下村道誉,の各大学院生たち(当時)に感謝!

種分類とは
 様々な動物群を扱うことで学んだのは,図1に示した通りの動物の多様さです.当たり前ですが,動物群ごとにそれぞれ分類形質が違います.それらを把握するためにえらく苦労しました.
 分類学研究者は自分の専門とする動物群の既知種を,相同形質軸の多次元空間に位置する既知点(つまり個体プロット)の集合として認識しています(図2).分類に際し,当該標本をまず,その空間の中にひとつの新点として位置づけます.新点にもっとも近い既知の点(最近点)とその新点との間のギャップが,最近点と同種の既知点との間のギャップより大きく,そのギャップが生殖隔離に原因すると予想される場合,その点を新種と認識します.まれですが,ギャップが小さくてもそれが生殖隔離に原因する場合は新種です.このようにひとつの種は必ずその他の種との関係において位置づけられます.その関係を表わした多次元形質空間は動物群ごとに異なっています.たとえば,第3後側板後端の切れ込みの数という形質はSternomoera属ヨコエビ類の多次元空間内形質軸のひとつを構成していますが,櫛口類コケムシではそんな形質軸は存在しません.動物群が異なれば,分類に用いる多次元形質空間も異なります.異なった多次元形質空間をいくつも頭の中にもつことは一人の分類学研究者にとって至難の業です.現生種だけでも30門を越える多様な動物群を一人で隅々まで把握することは不可能なのです.すなわち,動物はきわめて多様であることと人間一人の能力と興味が限られている故に,たとえば甲殻類の専門家は多毛類に関心を示さないのです.ところが私は幸いなことに,大学院生を指導し,あるいは共同研究を進めることで様々な動物群の多次元形質空間を一次的であれ,頭の中に構築しました.この個人的な経験が動物群別学会を統合した学会連合の必要性を私に語りかけました.

                            
    図1                                                           図2
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分類学会連合への道
 生物が多様なことは,異なった生物群を専門とする分類学研究者間のコミュニケーションを阻害してきました.研究者たちは,「甲殻類」とか「シダ類」などといったそれぞれの専門とする生物群に限った研究・学会活動に満足して埋没してきたのです.全生物群を含む「分類学」の学会を必要としませんでした.しかし,現代社会は分類群を越えた分類学研究者の協力体制を待ち望んでいました.環境破壊を阻止し,人類の生存を保証するために必須なのは生物多様性を守ることです.生物多様性を守る方策は,生物がどのくらい多様なのか知ってはじめて可能となります.「どんな種がどのくらいどこに」棲んでいるかを知る学問である分類学の存在価値はこのように高いにもかかわらず,分類学者の足並みはそろいませんでした.「‘甲殻類分類学’や‘シダ類分類学’は存在するが‘分類学’は存在しない」と皮肉られていたとおり,学会レベルで分類学が生物群別に細分化されていることがその主な理由だったのです.一方,分類学以外の生物学分野はそれぞれまとまった組織を持ち,活発な活動を通して社会に確固たる地歩を築いています.その様子を目の当たりにして,私は,分類学に対するコミットメントを形成する必要を痛感しました.「自分たちの研究成果が歴史の1ページを構成するか,ゴミ箱行きかを決めるのはアカデミーをどれだけ組織できるかにかかっている」との友人の言葉も身にしみました.思い立ったが吉日と,まずは動物分類学関連の学会への働きかけを始めました.決して道は平坦ではありませんでしたが,いくつかのシンポジウムを開催して世論を高める等々の活動を多くの賛同者とともに進めた結果,2000年1月にはついに9つの動物群別学会が一緒になって「日本動物分類学関連学会連合」の設立にこぎ着けました.その2年後には,それまでは夢と思われていた植物学関係の学会との統合が実現し「日本分類学会連合」が発足しました.分類学研究者が一丸となって果たしたこの学会リストラクチャリングに微力ながらも関われたことは私の誇りとなっています.さらに言わせていただければ,この連合は,我が(社)日本動物学会が21世紀の行動目標のひとつに掲げている「ガイアリスト21プロジェクト」に沿って生物多様性研究を先導する役を果たしてゆくものと期待されています.

ヨーロッパに保管されている日本産標本
 大学院生との共同研究により,一つの動物群だけではなく,全生物の多様性に興味をもつようになった私は,様々な分類群にまたがる標本調査に関わることになります.明治初期に日本に滞在した外国人教師,ルードウィッヒ・デーデルラインがヨーロッパに持ち帰った日本産無脊椎動物の標本コレクションは,1993年に調査を開始して以来今日まで,科研費等の資金援助にめぐまれ,延べ十数人の分類学者の努力によって3000種を越えるその全貌が明らかになりつつあります.標本調査は時として予想外の喜びをもたらします.デーデルラインコレクションのコケムシ標本はOrtmann(1890)が研究しているのですが,彼の論文中の図にそっくりの標本をストラスブール動物学博物館で見つけました(図3).このとき,110年前に同じ博物館で同じ標本を手にとるOrtmannの姿が目に浮かびました.おおげさかもしれませんが,デーデルラインコレクションを仲立ちにして異国の分類学研究者同士が時を越えて交流した一瞬でした.「感動した!」
 海外標本調査は一方で,日本産標本を所蔵しているヨーロッパ各国と日本の間の学術交流に大きく資することになりました.1999年にはフランスのストラスブールから,2001年にはドイツのオルデンブルグとフランクフルトから招待を受け,私はデーデルライン標本調査が日本と当該国の学術交流に果たす役割について講演して来ました.ストラスブールでの講演の折り,私は,動物学博物館のラング館長に対して,日本の動物標本がフランスの田舎にあるのはどうも具合が悪いから,日本へ戻してくれと頼みました.予想どおり,彼女にはきっぱり断わられました.そのとき,ラング館長のご主人のジャックが言った言葉が今でも私の耳にこびりついています.「日本の標本がストラスブールにある.これはすばらしいことだ.なぜなら,そのおかげで我々はあなたたちと知り合うことができたのだから」.デーデルラインのかけた橋を渡って,110年後の日本から研究者がヨーロッパを訪れました.年月と距離,国境を超えて人間は,そして学問は交流します.そしてその成果は,新しい文化として次の時代に伝わります.こう考えると,人類の未来も決して捨てたものではありません.


図3
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分類学の振興
 その後,デーデルラインコレクション以外にも日本産種の多くのタイプ標本がヨーロッパに保管されていることを知り,その標本情報および文献情報をデータベース化して万人が利用できるようにするプロジェクトにも関わることになりました.分類学を志す若者たちは,専門文献の収集とタイプ標本の借り出しに四苦八苦してきました.分類学情報のデータベースがネット上で利用できるようになれば,分類学研究者への道は短縮されます.
 研究活動と平行して,私は一般の人々および他の生物学専門家に分類学を説く活動を進めてきました.分類学の教科書「動物分類学の論理」は分類学を越えて広く日本の生物学者に読まれ,分類学の一般的な理解に大きな役割を果たしたと評されているのは幸福なことです.「動物の自然史」や「バイオディバーシティシリーズ」も様々な分野の生物学者に読まれているそうです.読者に感謝! その他の監修書,編著書,総説,翻訳書等々が分類学の振興にすこしでも貢献したとすれば本望です.学会には学問の教育,普及や振興の役割が欠かせません.英文論文の量産だけを目的とせず,学問の流行を追わない私のような会員をすみっこに擁するからこそ(社)日本動物学会は社会との接点を保ち,異なった生物学分野間での理解を深め,生物学全体の将来について話し合う場となりうるのではないか,と自負している今日この頃です.

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