画工の近代 植物・動物・考古を描く 書評
藏田愛子著、2024年、東京大学出版会、343+27頁、本体8800円+税
序章 第一節 本書の目的と構成、第二節 「画工」について
第Ⅰ部 画工の居た場所 第一章 描き手の官庁出仕、第一節 幕末の開成所に勤めた者、第二節 明治十年代の官庁出仕、第三節 図解と記録、第二章 明治期前半頃の博物館活動、第一節 文部省博覧会、第二節 山下門内博物館、第三節 博物図譜の製作者、第三章 動物剝製法における動物写生図の役割、第一節 明治期の剥製づくり、第二節 『鳥獣剥製法訳稿』、第三節 明治九年の動物検査、第四章 東京大学の画工 第一節 東京大学の前身校、第二節 明治十年代の理学部、第三節 画工の職場 第四節 植物学教室、第五節 動物学教室
第Ⅱ部 植物における図示 第五章 小石川植物園の画工-渡部鍬太郎、第一節 明治十-二十年代前半の植物学、第二節 渡部鍬太郎の画業、第三節 大学業務としての植物写生、第四節 植物学者と画工、第六章 植物知識の普及-西野猪久馬 第一節 西野猪久馬の画業 第二節 『少年世界』を飾った標本画、第三節 三好学選『櫻花写生部』、第四節 栄養研究所での救荒植物写生
第Ⅲ部 画工がつくる学問のイメージ 第七章 考古学と縞模様-大野雲外、第一節 大野雲外の画業、第二節 人類学教室の画工、第三節 縄文土器の模様集、第八章 明治四十年における「日本の太古」、第一節 東京勧業博覧会に登場した太古遺物陳列状、第二節 コロブックルの村、第三節 日本石器時代のイメージ
終章 あとがき 参考文献一覧 掲載図版一覧 人名索引
2024年9月、日本動物学会長崎大会では受付で販売されたグッズにリアルなヒナコウモリを見事にあしらったトートバックがあった。これは日本の動物学の草分けで日本動物学会の前身、東京大学生物学会の創立メンバーの一人、波江元吉(1854-1918)がトートバックに記されているように「「動物学雑誌」第1巻第8号 1889年」に寄稿した論文中の図である。動物学会歴史資料保存委員会が2011年の第82回大会(旭川)で展示した「記載の魅力と価値-『動物学雑誌』にみる日本の動物たち」で「動物学雑誌」に掲載された図から日本産哺乳動物の記載史を扱ったときに利用した図でもあった。
筆者が委員会委員として展示を作成している際、この今にも飛び出しそうなコウモリは波江自身が描いたのだろうか、それとも誰か別人だろうかと疑問に思ったものである。こうした動物図を描いた人物に光を当て、主題的に扱ったのが本書『画工の近代 植物・動物・考古を描く』である。まさに待ち望んでいた著作の登場といっても決して過言でないと思う。とにかく、丁寧かつ丹念に文献を渉猟し、説得力ある記述で黎明期の日本の動物学を支えた「画工」を浮彫にしている。
本書では、この「画工」の意味を、広義の「画家」や「絵描き」、狭義の「東京大学理学部で図を描いた者」の両方で使っている(5頁)が、もともと「学術標本のスタッフや論文図版の原画を描く者」を「画工」と呼ぶことがあった(7頁)ことも踏まえている。画工の給与は「巡査や小学校教員の初任給の二~三倍に相当」(10頁)したという。こうした画工への厚遇が西欧近代科学導入期の日本の動物学を支える機能を果たしたともいえる。これら画工の来歴をまとめた官庁出仕者の一覧表(37頁)もありがたい情報である。
さて、冒頭のコウモリと同様の「動物学雑誌」の第1巻第10 号に掲載されたユビナガコウモリの図が本書の169頁に載せられ、描いたのは平木政次(1859-1943)であることが説明されている(166頁)。彼は文部省(当時)の「教育博物館」(国立科学博物館の前身)での勤務経験がある人物で、博物館勤務後には絵を学ぶ時間をもつことができ、美術館を訪れ洋画家との交流もあったという(167頁)。平木に関しては、第4章 第二節 明治十年代の理学部、で教育博物館と東京大学を兼務し「魚類写生図」や『甲蟲写生図』の他、植物図も残した木村静山のつぎに詳しく述べられている(165頁以降)。なお、「東京大学創立当初においては、外国人教師たちが、図版の原図を描く画工の仕事に対する賛辞を送っており、このことは、当時の外国人たちが学術書刊行における図版のもつ視覚的な有効性を認識していたと捉えることができる」ものである。
ここまでくると、2023年4月から半年間放映された、「日本の植物学の父」とも称せられる牧野富太郎(1862‐1957)をモデルにしたNHK朝の連続テレビ小説「らんまん」が思い出されるところである。主人公の研究への取り組みや人間性を含めて話題になった。本書の著者は、その「牧野記念庭園記念館」の学芸員を務めた経験がある。まさに、牧野が設立初期の東京大学理学部植物学教室を中心に活躍していた頃に動物学や人類学・考古学ではどのようなことが起こっていたか思い起こさせてくれるのが本書でもある。「近代日本の大学や博物館に雇用され、動植物、考古等の学術標本を描いた画工。彼らの制作の実態は明らかにされてこなかった。本書は、学問の発展に寄与し、雑誌や図鑑の挿図を通して社会への知識普及にも貢献した、画工の幅広い活動の意義を考察する」と序章で述べている。
植物学については、第Ⅱ部 植物学における図示、第五章 小石川植物園の画工-渡部鍬太郎(221~257頁)、第六章 植物知識の普及(259~284頁)、と多くの頁が割かれている。植物学分野が比較的詳しくなるのは、小倉謙編「『植物学教室沿革』を主要な手がかりとすることで植物学に関与した画工の変遷を緩やかに辿ることができたが、理学部の他教室における画工の動向については、わずかな情報を得られるばかりで、現段階では植物学教室以外の各教室に画工が継続的に常駐したかは不明」(192頁)だからである。とはいえ、本稿は、日本動物学会会員に向けてのものなので、植物学関係の内容より動物学関係に絞って紹介をしていきたい。
さて、直接、動物学と関わるのは第三章 動物剝製法における動物写生図の役割、の各節と第四章 東京大学の画工 第五節 動物学教室、である。本書の構成でも、第三章 動物剥製法における動物写生図の役割、は画工の描く図が博物館陳列品の一つである動物剥製と密接なかかわりをもっていたことに着目し、動物剥製づくりにおける写生図とのかかわりを論じる(4頁)と述べている。それは「近代日本の剥製や剥製法を動物表象の観点から論じた研究は、筆者の調べた限りにおいてほんどみられない」からだが、黎明期の動物学者、石川千代松や飯島魁、波江元吉らが剥製作りに助言をして事には触れている(109頁)。「剥製は立体的な形態を有することから、時に平面的絵画以上に視覚的な伝達に優れる場合がある。実物の動物の皮が用いられた剥製は、実際に動き出すことはないが、あたかも生きた動物がそこにいるかのような臨場感を鑑賞者に与えることを可能にする」(115頁)のである。このまるで生きているかのような印象を与える剥製が博物館の陳列品に相応しいという認識は、幕末の西洋視察を通じて生じたと考えられる。
第四章 東京大学の画工 第五節 動物学教室、「明治十年代から二十年代に動物学教授のもとで図を描いた画工としては、木村静山、印藤眞楯、長原孝太郎、野村重次郎の名前をあげることができる」(192頁)。「洋画の描法に通じた者が画工に採用される傾向が見られた」のであった。これらの内、野村はモースに次ぐ第二代お雇い外国人動物学教師ホイットマン(1842‐1910)の厳格さに泣かされた。
「(野村)氏は先生の命に依り、一時クレプシネ(ヒル)の写生に従事せり。其の図は水彩の密画にして一図を仕揚ぐるに一週間乃至十日間を要せり。然るに先生は些細なる一線一点の誤謬をも看過するを允(ゆる)されざりしが故に、漸く完成せる写生も空しく廃棄せられて更に着手せること一再に止まらざりき」(197頁)。「野村は、ホイットマンの目となり、手となって、ホイットマンが考えるとおりの図を描くことを鍛えられていた」のであった。そのため、ホイットマンは野村を高く評価し、野村はホイットマンが米国に帰国してほどない1885 年にホイットマンに請われて渡米している。
また、長原は箕作佳吉のスッポン、イシガメ、ウミガメなどを材料とした発生学的研究の図を描いた。1891年に箕作が『帝国大学紀要 理科』に発表した論文には、箕作と長原のサインが入った図版が複数掲載されている」(193頁)。長原は東大理学部助手から東京美術学校助教授へ転出した人物で、長原の標本画は「標本画というよりも美術的小品」であり「東大始まって以来の名標本と言われる理由も、正確さ以外に美しさの価値が重きを成していたと思われる」(193頁)という。ともあれ、「東京大学理学部の画工に関して言えば、生物学科の植物学教室・動物学教室・人類学教室には、教室付きの専属画工といえるような者が勤務していたと考えられる」(355頁)のである。
本書著者の「従来の研究の中で一定の評価を与えてこなかった、または、その存在がほとんど知られていない画工の存在を浮き彫りにしたいという思い」は、それぞれの画工と研究者の研究を実証的に対応させながら論じることで見事に成功していると思う。詳細な注や参考文献一覧、人名索引も大変充実しており、この領域に関心がある人にとっては大変有用であるが、一般読者にはやや煩雑さを感じるかもしれない。
溝口元(立正大・社会福祉/学習院大・アーカイブズ)