細胞の行動力学 Cellular Ethological Dynamics 書評
著者:中垣俊之+石川拓司(編)、出版日:2025年12月22日、出版社:東京大学出版会、価格:本体価格3500円
本書『細胞の行動力学』は、「細胞の行動」を、よく制御された実験室環境で得られた知見から一歩進めて、本来の多様で複雑な環境のなかで細胞がどう振る舞うかとして捉え直そうとする意欲的な入門書である。培養皿内の運動理解を足場にしつつ、生体内の時空間的に不均一で非定常な環境へと視野を広げ、その橋渡しとしてパノラマ(野外)とジオラマ(人工再構成)の対比を導入する導線が明快だ。
私はアフリカツメガエル卵細胞を用いた受精研究に携わっているが、細胞運動の専門家ではない。だからこそ、本書が真核単細胞生物(原生生物)に強く光を当て、運動・行動・生活史の豊かな実例から問題を立ち上げていく姿勢に惹かれた。多細胞生物は真核生物の遺伝的多様性の一部にすぎず、原生生物の基礎生物学的なおもしろさと重要性は、卵細胞という巨大細胞を扱う私にとっても、細胞を「ふるまう主体」として捉え直す刺激になる。
本書の核は、細胞行動の仕組み解明に向けて、力学に基づくモデル方程式を見通しよく位置づけることにある。複雑な環境での動きを扱う際、微分方程式が威力を発揮し、境界条件や初期条件、パラメータ調整によって現実のふるまいへ接続していく、という見取り図は、実験屋の読者にもモデルの「使いどころ」を与える。さらに、モデル方程式が再現する行動過程を「細胞自身の情報処理(問題解決アルゴリズム)」として問い直し、現行の情報処理アルゴリズムとの比較へと議論を開く射程は大きい。
目次が示すように、第1章で対象と問いの地平を拓き、第2章で観察・計測とジオラマ環境制作を押さえ、第3章で力学と数理モデルの基本を整え、第4章で走性・集団運動・生物対流といったアルゴリズムへ踏み込み、第5章で「原生知能」をヒューリスティクスとして評価する流れは、分野外の読者にも段階的で親切だ。加えてコラム群が、個別トピックへの入口として効いている。
受精研究の立場から読むと、細胞が外界の攪乱にどう応答し、どのスケールで何を見て行動を組み立てるのか、という問いは、配偶子や初期胚を含む「動く/変わる細胞」の理解にも通底する。専門外でも読める一方で、読み終えるころには「では自分の実験系で、どんなジオラマ環境を作れるか」と手が動き始める。細胞を動くものから解くもの(問題解決するもの)へと転換して眺めさせる点で、本書は細胞生物学と数理の境界を越える良質な刺激剤である。
佐藤賢一(京都産業大学生命科学部)



